遍路13日目:室戸岬〜室戸(5.0km)






 遍路の朝は早い。たいていの歩き遍路は朝6時には出発し、午後4時ぐらいに宿に入るという。日の出の早い夏場には早朝の4時から歩き始める事を推奨している本もある。

 遍路が主たる客であろうこの宿もまた一般的な遍路のスケジュールに合わせているのか、あるいは喫茶店としても営業しているようなのでそのあたりの都合なのか、チェックアウト時間が8時とかなり早めの設定だ。

 私が宿を取る主目的は体力の回復なので、朝はできるだけのんびりしたいところであるが、まぁ、宿のルールなので致し方ない。窓の外で降りしきる雨を眺めながら、出発の準備をする。昨日に引き続き、今日の空も雨模様だ。


朝食はオシャレなパンとサラダを頂いた

 食事を終えて一息つくと、時間は8時少し前。レインウェアを着込んでから宿のおかみさんに出発の意向を伝えると、おにぎりを二つ持たせてくれた。遍路宿ではこうした軽食をお接待として提供してくれるところが多いらしい。ありがたく頂戴して出発した。


雨の中、旧土佐浜街道を行く

 室戸岬からの道のりは旧街道に沿って家屋がずっと続いており、集落が途切れることがない。集落が非常に少なく、荒涼殺伐とした車道がどこまでも続いていた東海岸とは対照的だ。太平洋に面した東海岸は入江が少なく激しい荒波が打ち付ける一方、土佐湾を臨む西海岸は比較的波が穏やかで漁村を営むのに都合が良いのだろう。

 道すがら何度か地元の方とすれ違ったのでその度に挨拶をしていたのだが、そのうち何人かの方が土佐弁で返事をしてくれた。「むさいねー」あるいは「むるさいねー」、「うるさいねー」と聞こえたように思うが、言葉の意味はサッパリだ。「雨で嫌だね」というようなニュアンスの言葉なのではないかと思うのだが……。

 そのことをtwitterでつぶやいたところ、とあるフォロワーの方が「むせるねー」と言ったのではないかと教えて頂いた。蒸し暑いという意味とのことだ。なるほど、雨降りかつ気温高めなこの朝にピッタリな言葉である。


レトロな風情漂う津呂港を横切った

 なんでもこの津呂港は江戸時代前期に土佐藩の政務を担っていた野中兼山(のなかけんざん)が築いたものであるという。寛永13年(1636年)に試削を行い、寛文元年(1661年)に着工。36万5千人にも及ぶ人員を動員し、わずか三ヶ月で完成させたそうだ。

 築港の際には海中に土嚢を積んで堤防を築き、海水を汲み出してから大鉄槌やノミで岩を砕いて開削したとのこと。竣工後は海路の難所であった室戸岬における風待ちの港、悪天候時の避難所として重宝されたという。


津呂港の辺りから伝統的な水切り瓦を持つ家を見られるようになった

 室戸岬を含む安芸地方は台風銀座である為、暴風雨に対する工夫が家屋に施されている。昨日通りがかった富岡集落の巨壁はかなり極端な例のようだが、一般的にはこのような土佐漆喰に水切り瓦を備えた家屋が普及していたようだ。

 土佐漆喰は消石灰にネズサと呼ばれる発酵した藁すさを混ぜて強度を高めたもので、通常の漆喰より耐水性が高いという。また壁に水切り瓦を設けることで雨が直接かかるのを防ぎ、漆喰の寿命を高めているそうだ。水切り瓦はその家の富の象徴であるともされ、競うように水切り瓦の段数を増やしていったという。


旧街道は室戸市中心部へと続いていく


室戸港もまた野中兼山が築いたものらしい


その袂には「梅香(まいご)の井戸」があった
現在は埋められたのか、真新しいモニュメントが置かれている

 側に立っていた看板の説明によると、この「梅香の井戸」は平安時代に土佐国司を務めた紀貫之(きのつらゆき)が命名したという。承平4年(934年)、国司の任を終えた紀貫之は京へ帰還すべく12月27日に土佐国府を後にした。しかし翌1月12日より海が荒れた為、暴風雨を避けるべく「室津」に10日間避難したとのことだ。

 当時この辺りは沼沢地であり、綺麗な水が得られなかった。この井戸は近隣住民唯一の飲料水であったとのことで、紀貫之もまたこの井戸の水を利用したのだろう。井戸の側には梅の老木が茂っており、それより「梅香の井戸」と名付けたという。

 この旅行の日々を綴った『土佐日記』は日本初の日記文学としてあまりに有名であるが、紀貫之が留まっていた「室津」の場所については諸説あり、先ほどの津呂港にも「紀貫之朝臣泊舟之処」という石碑が立っていたりする。だがまぁ、10日にも渡り滞在していたとなると、食料や利水の便を考える必要があり、となるとより開けた土地のある室戸の方が可能性が高いように思いますな。


室戸港から路地を入っていくと、その奥に聳えるのは――


第25番札所、津照寺(しんしょうじ)である

 歩き始めて1時間強、室戸岬からわずか5kmで次なる札所に到着だ。室戸港のすぐ近く、小高い丘の上に鎮座する津照寺は、地元では津寺(つでら)と呼ばれている。

 寺伝によると大同2年(807年)に空海がこの地を訪れ、丘の形が宝珠に似ていたことから延命地蔵菩薩像を刻み、堂宇を建てて開山したという。平安時代末期に成立した『今昔物語集』にも「津寺」として語られており、相当な古刹であることが分かる。

 また慶長7年(1602年)には、土佐国に入った山内一豊(やまうちかつとよ)が暴風雨によって室戸沖で難破しかけたその際、本尊の化身が舵を取って室戸港まで導いたという。その伝承より「楫取地蔵」とも称され、海上交通の守護仏として信仰を集めてきた。

 しかしながら明治維新を迎えると神仏分離令が発せられたことで全国で廃仏毀釈運動が巻き起こり、平安時代からの歴史ある津照寺もまたあえなく廃寺となってしまった。後に復興を許されたものの、寺域は大幅に狭められ、在りし日の面影は薄いという。

 昨日訪れた最御崎寺も廃仏毀釈で衰退していたが、高知県の仏教寺院においては廃仏毀釈の影響を受けなかったところの方が少ないくらいだ。明治新政府の主要勢力であった薩長土肥では特に廃仏毀釈の動きが激しく、四国八十八箇所霊場の札所もまた例外ではなかったのだ。こんなにも歴史がある寺院なのに、現存する遺物が少ないのは非常に残念なことですな。


本堂は昭和50年(1975年)にコンクリート造りで建てられたものだ

 急な勾配の石段を息切らしながら上っていくと、コンクリート造りの本堂が姿を現した。これまでの札所はすべて木造だっただけに少々面食らったが、廃仏毀釈の流れを鑑みるに致し方ないとは思う。まぁ、この頑丈そうなお堂なら台風の暴風雨にもビクともしないだろうし、室戸という土地柄に合ってるとも言えるだろう。

 本堂でお参りを済ませた後は再び石段を下り、麓に建つ大師堂でもお参りをする。狭い境内で混みあう中、なんとか納経を済ませて山門を出た私は、ポケットからiPhoneを取り出して「津照寺に着いた」という旨のメッセージを入れた。帰ってきた返事は、「すぐに行く」というものである。

 実をいうと、この室戸には私の旧友の実家が存在するのだ。私もまったく知らなかったことなのだが、その友達はいつの間にか東京から実家に戻っていた。私が四国遍路をやっていること三日前に知ったらしく、メッセージを送ってきたというワケだ。

 うちに泊まっていけとも誘われたのだが、既に宿を予約した後だっただけにそれは遠慮させて頂いた。それでもせっかくなので会おうということになり、津照寺に着いたら連絡をくれという話であった。


ほどなくして友達がやってきた
再会の挨拶もほどほどに私を先導して歩いていく

 友達がまず向かった先はスーパーである。さすがは地元民なだけあって顔なじみが多いらしく、海鮮コーナーでは板前さんに声を掛けられ私のことを説明していた。

 ところで、私はてっきり昼ごはんを一緒に食べるくらいに思っていたのだが、友達は次々と惣菜をカゴに放り込んでいく。さらにはビールや焼酎までも手に取って――って、飲む気満々じゃないですか。どうやら互いの認識に多少のズレがあったようだ。


そして飲み会が始まった

 自宅に案内された私は、雨に濡れたレインウェアを脱ぎ、促されるままお風呂を頂いた。突然お邪魔したにも関わらず、お母さんもまた嫌な顔ひとつせず温かく対応して頂き、ホント申し訳ないくらいである。

 さっぱりした後はビールで乾杯。カツオのタタキをはじめ数々のご馳走がちゃぶ台に並んでは消えていく。良い感じにお腹が膨れたところでお次は焼酎の登場だ。前の会社の話などをしながら、お菓子をツマミに呑む、呑む、呑む――。


結局、昼から夜まで飲み続けることとなった

 私は以前、土佐のおもてなしはひたすら飲むことだと聞いたことがある。しかし、まさかそれが本当だったとは。昼間からべろんべろんに酔っぱらってしまい、いやはや、実に遍路らしからぬ一日となった。

 これは本当に本当のことなのだが、私は遍路を始めて13日間、完全に酒を断っていた。いくらレジャー化しつつあるとはいえ、四国遍路は信仰に基づく巡礼の旅である。遍路が酔っぱらっていたら地元の方はどう思うことか。ましてや私はテント泊。誰に目撃されるか分かったものではない。遍路に悪評が立たない為にも飲酒を自重していたのだ。

 しかしながら、友達の家でなら話は別である。しかも飲め飲めと勧められているのっだから、断ることはできない。お接待と同様で、ご厚意を無下にするわけにはいかないのだ。……と言い訳をしつつ、単純に友達と再会でき、さらにはこれほどまで盛大にもてなして頂けたことが嬉しかった。


おつまみに「塩いもけんぴ」なるものを頂いた
普通のいもけんぴよりもあっさりしてて非常に美味だ

 散々飲み食いした上に夕食までご馳走頂き、さらには当然のように泊まっていきなさいとお布団を提供して頂いた。まさに至れり尽くせり。これ以上の幸せはない。

 雨降りの中ただ歩き続け、憂鬱な気分で寝床を探すことになるはずだった一日が、なんともゴキゲンでハッピーな一日に翻った。心地よい酔いの中、ふかふかの布団に寝そべると、そのまま意識が沈み込んでいった。