巡礼49日目:ブルゴス〜ラベ・デ・ラス・カルサーダス(11.8km)






 7時を回った頃、アルベルゲの館内にラジオの音が鳴り響いた。ロンセスバージェスのアルベルゲでもあった、目覚めと出発を促すアレである。私は既に身支度を整えており、朝食も取った後であったので、その催促に従い素直に宿を出る事にした。

 昨日の午後に好転した天気はそのままで、空は見事な青色を呈していた。私はカテドラル前のベンチに腰掛け、朝日に照らされたカテドラルをぼんやり眺める。昨日は陰になっていた部分に光が当たり、カテドラルはまた違った美しさを見せてくれていた。


南側のサン・フェルナンド王広場から見るカテドラル


こちらは東側、回廊の裏手部分

 うん、素晴らしい。やはりこのような巨大で複雑な形状を持つ建造物は、午前と午後両方の時間帯で見たいものである。光の方向が変わるだけで建物の表情が変化し、違った印象となる。一方の時間帯だけでは気付かなかった新たな発見もある。


まるで城門のようなサンタ・マリア門

 またサン・フェルナンド王広場の入口には、巨大なサンタ・マリア門が建っていた。これは14世紀から15世紀にかけて築かれたもので、後の16世紀に改築されて今に見られる姿になったのだそうだ。あまりにも立派な門なので、その存在は昨日のうちに気付いていたのだが、東向きに建っているので午後の時間は逆光でしっかり見る事ができなかったのだ。この門を見学するには朝が一番である。

 それともう一つ、昨日から気になっているものがある。カテドラルの西側にそびえる丘の上に、何やら城塞らしき石造建造物が横たわっているのだ。眺めも良さそうな場所だし、ちょっくら見に行ってみようじゃないか。


緑の木々が茂る丘の上に白い城塞が見える


城壁に沿って丘を登って行くと――


程無くして丘の上に着いた

 下からではそれほど大きく見えなかったが、実際にその場へ行ってみると意外にも規模が大きく立派な城塞であった。その名もずばり、ブルゴス城だという。町の起源にまで遡る古い城なのだそうで、最初に築かれたのは884年。その後15世紀まで改築が繰り返され、1813年にナポレオン軍の襲撃を受けて破壊されている。

 現在のブルゴス城は公園として整備されており、城塞内部の見学も可能のようだが、残念ながら開門の時間は11時と遅い為にパスせざるを得なかった。展望台から見る景色は素晴らしかったものの、午前中は逆光でこれまた残念。ブルゴス城に登るなら昨日の午後にしておくべきでだった。


まぁ、逆光でも素晴らしい眺めなのには変わりないが

 丘の上から町まで戻ってくると、時計の針は既に9時を回っていた。今日は朝から観光モードでブルゴス見学を楽しんでしまっているが、そろそろ気持ちを巡礼モードに切り替えて歩き始めなければならない。ただでさえ、最近は一日あたりの歩く距離が短く、巡礼者として少々たるんでいる感じなのだから。


とりあえず巡礼路に戻り、西に向かって歩き始めた


サン・マーチン門をくぐってブルゴスの町を出る


……なんだか天気が悪くなってきたぞ

 これはいったいどういう事なのだろう。私がブルゴスの町から出ようと歩き始めた途端、それまで晴れていた空に突如として雲が現れたのだ。昨日はブルゴスに到着した途端に雲が消えて晴天になってくれたし、まるで私がブルゴスにいる間だけ雲が消えていてくれたかのようである。「ブルゴスには晴天の時に行きたい」という私の願いが、まさかここまで完璧に叶ってしまうとは。ただの偶然にしては出来過ぎだろう。


1165年に架けられたというマラトス橋(Puente de Malatos)を渡る


綺麗に整備された並木道を歩く

 アルランソン川の古橋を渡り、道路に並行して通る並木道を歩いて行くと、左手に歴史を感じさせるたたずまいの路地があり、その奥に何とも立派なルネサンス様式の門が見えた。引き寄せられるままにその路地を進んで行くと、門の横に「UNIVERSIDAD DE BURGOS」という文字が掲げられていた。なるほど、ブルゴス大学か。

 現在はブルゴス大学の一部となっているこれらの建物は、1195年に創建された王立病院の跡だという。現在は門と付属教会、それといくつかの建物の柱が残されており、大学の敷地でありながら遺跡のような雰囲気となっている。その中を学生たちが行き来しているのだから、なんともシュールな光景だ。


とても大学の入口には見えない門である

 柱の彫刻などを見学しながらブルゴス大学の敷地をぷらぷらしていると、ふと「巡礼者受付」と書かれた張り紙に目が留まった。そういえば、パンプローナのナバーラ大学では巡礼手帳にスタンプを押して貰う事ができた。ひょっとしたら、ここでもスタンプを頂けるのではないだろうか。私はその建物へと入り、事務員らしきお姉さんに尋ねてみると、見事にビンゴである。やはりこの大学でもスタンプを貰う事ができた。私はほくほく顔でブルゴス大学を後にし、巡礼路を進んで行く。


真新しい建物が並ぶ新興の地区を抜ける

 ブルゴス大学から先は、至って普通な車道沿いの歩道であった。新興のエリアなので巡礼路としてはさほど面白く無いが、途中にコンビニがあったのはありがたい。昼食用にチョコレートとビールを購入しておいた。普段は気温でベロンベロンになってしまうチョコレートも、ここ最近の肌寒さを感じる程の気温ならば大丈夫だろう。

 さらに歩いて行くとようやく市街地を抜け、巡礼路はおなじみ麦畑の道となった。ブルゴスを出る時間が遅かった為か、歩いている巡礼者は私以外に誰もいない。景色を独り占めできるのはありがたい事であるが、いつも多くの人で賑わう巡礼路に誰の姿も無いと心細く感じるものである。一人だと道を間違えても気付かないし。


ブルゴスに近い為か、巡礼路は道路や鉄道と頻繁に交差する


高架道路の橋脚に巡礼者の絵が描かれていた

 この絵に描かれている「a Santiago」は「サンティアゴへ」という意味である。サンティアゴを目指しているのだから、左の人物は巡礼者なのだろう。ではその巡礼者に寄り添う右の人物は聖人ヤコブだろうか(ヤコブは杖を持った姿で描かれる事が多いというし)。

 つまりこの絵は、巡礼者はヤコブと共にあるという事を描いているのだろうか。日本の四国遍路には、遍路は一人ではなく弘法大師空海と共に歩いているのだという「同行二人」の考え方があるが、サンティアゴ巡礼もまたヤコブと「同行二人」だったりするのだろうか。考えすぎなのかもしれないが、なかなかに興味深いグラフティである。


17世紀に架けられた大司教橋(Puente del Arzobispo)を渡る


正午過ぎにタルダホス(Tardajos)という村に着いた

 村の入口に立つ十字架が印象的なタルダホスの広場で昼食を取る。バゲットとチーズ、サラミを食べ、先程買っておいたビールを飲む。デザートはもちろんチョコレートだ。なかなか充実した昼食を終え、私は村の教会を軽く眺めてから村を出た。


タルダホスからは大きな道を外れ、丘に沿って行く


あっという間に次の村に到着した

 タルダホスからの道はアスファルトの車道ではあるが、ほとんど車は通らず静かなものだ。小高い丘を横目に15分程歩くと、次の村であるラベ・デ・ラス・カルサーダス(Rabe de las Calzadas)に着いた。時間はまだ13時ぐらいである。

 なお、今日出発したブルゴスから次の大都市であるレオンまでの間は、メセタと呼ばれる高原の台地を歩く事になる。どこまでも平地が広がる風光明媚な景観が見られるそうだが、その途上には村など休憩できる場所が少なく、巡礼路としてはかなり厳しい区間であるようだ。そしえこのラベは、メセタに突入するその境の村である。

 地図を確認すると、ラベから次の村であるオルニージョス・デル・カミーノ(Hornillos del Camino)までは約8キロメートルの距離があるようだ。もちろん、その間には家のようなものは一切無い。しかしまぁ、今から出発すれば15時くらいには着く事ができるだろう。私はとりあえず次の村までは歩こうと決め、ラベの村を後にした。


すると、嫌な色の雲が空を覆い始めた

 緩やかな丘をバックに麦畑が広がる気持ちの良い道を歩いて行くと、どう見ても雨雲だろう! と突っ込みを入れたくなるような色の雲が西から流れてきた。それはたちまちアメーバのように私の頭上まで広がり、あっという間に太陽の光を閉ざしてしまう。そして間も無く、さも当たり前のように大粒の雨が降り注いできた。

 この突然の雨は、今日はもうこれ以上進むべからずという天からの啓示に違いない。ブルゴスに入ったら突然晴れた件に加え、ブルゴスを出たら突然曇り出した件もあるし、今日の私には天気の神様的な何かが憑いているような気がする。この雨の中メセタに突入したら、きっと良くない事が起きるに違いない。うん、今日はもう終わりにしよう。

 私は進む事を諦め、ラベの村へと引き返した。ラベは小さな村ではあるが私営アルベルゲが二件あり、そのうち入口に猫がいた宿に入った。玄関には5ユーロと掲示されていたものの、キッチンを使う事ができない宿であった。10ユーロの夕食を付けて計15ユーロを支払う。スペインの巡礼宿にしてはかなり高く、財布の中身が少々痛んだ。


リビングの壁は巡礼関係の品々で埋められていた

 まぁ、宿の雰囲気はなかなかに良く、南京虫予防の為に荷物をビニール袋で覆うなど、管理も行き届いている印象であった。ただ、コンセント使えますかと聞いたら1ユーロと言う答えが返ってきた時にはちょっとびっくりしたが。フランスのジットも含め、コンセントの使用が有料な宿はここが初めてだ。なんだか面倒臭そうだったので、結局はコンセントを使うのはやめておいた。カメラの電池残量が心配だが、致し方ない。


やる事が無いのでバルでビールを飲む

 ラベは本当に小さな村である。これと言った見所も無く、やる事と言えばビールを飲む事ぐらいなものだ。私は村にある唯一のバルに入り、オヤジさんに「セルベッサ・グランデ・プロファボール(大ビール下さい)」と注文する。出てきたジョッキは縁ギリギリにまでビールが注がれていた。ジョッキもキンキンに冷やされており、おまけにスパニッシュ・オムレツ(ジャガイモ入りのオムレツだ)を付けてくれたりもした。良い店だ。

 いつの間にか天気も良くなっており(雨は進むのをやめた途端に止んだので、やっぱり私をこの町に留めておきたいという天の意志が働いたのだろう)、私はバルの店先に設置されていた椅子に座り、バルで飼われている犬と遊びながら気分良く酔っ払った。


夕食のメインディッシュはソーセージ入りの豆料理であった

 アルベルゲで出された夕食は、ガスパチョと豆料理(この地方の郷土料理のようだ)、それとフルーツである。大変おいしかったが、ワインがグラス一杯程度だったので若干の物足りなさを感じた。しょうがないので食後に再びバルへと向かう。

 バルのオヤジさんに大ビールを注文すると、今度は山盛りのオリーブを付けてくれた。黄昏の空の下、オリーブを噛みしめその油分をアテにビールをすすっていると、同じくビールのジョッキを携えたおじいさんが私に声を掛けてきた。立派なヒゲを蓄えたこのおじいさん、どことなく見覚えがある感じだが……あぁ、そうだ、「フランス人の道」序盤、ズビリの先の森で見かけた、かわいい犬を連れて歩いていたおじいさんではないか。

 このおじいさんはイタリア人で、獣医をやっているらしい。癌を患った息子さんの為、愛犬と共にポーランドからローマ、そしてローマからサンティアゴまで、テント泊で巡礼を続けているのだそうだ。サンティアゴまでたどり着ければ息子の癌が良くなる信じ、歩いているのだという。

 パリの大学にいたとか、日本にも仕事で来た事があるとも言っていたので、かなり地位の高い人物なのだろうと思うが、そのような人物が病気の息子さんの為に巡礼路を歩いているのである。出発から既に半年が経過しているとの事で、別れ際におじいさんがポツリと呟いた「あと480km、もう近いね」という言葉に、ずしりとした重みを感じた。