巡礼50日目:ラベ・デ・ラス・カルサーダス〜サン・アントン(26.7km)






 朝7時にアルベルゲを出ようとオスピタリエのおばちゃんに挨拶すると、おばちゃんは冷蔵庫から紙パックのジュースを取り出し私にくれた。昨日の夕食は宿で食べたものの、金の節制の為に朝食は頼んでいなかった。なので朝食は出ないはずだが、まぁ、ちょっとしたサービスとしてくれたのだろう。ありがたい心遣いである。

 広場のベンチで頂いたジュースを飲んでいると、向かいのバルの扉が開きマスターのオヤジさんが出てきたので挨拶をした。朝食としてバゲットと生サラミをかじり、少しの間ネットをしてから(この村の広場にはWi-Fiが飛んでいるのだ)、8時ちょうどに出発だ。


ラベの出口に広がる墓地の礼拝堂

 昨日の夜にバルで会ったイタリア人獣医師のおじいさんは、村外れの墓地にテントを張っていると言っていた。しかし村を出る際に墓地へ寄ってみると、既に出発した後だったのだろう、テントらしきものはどこにも見当たらなかった。まぁ、これはしょうがない。テント泊は人目に付かない時間帯に撤収するのが基本である。


いよいよメセタに入る

 今日の天気は極めて良好。最高のコンディションでメセタの台地に突入である。空はどこまでも青く澄み、風に吹かれてさわさわと揺れる麦の穂は太陽の光を受けて輝いている。うん、やはりラベの村て一泊したのは正解だった。

 緩やかな勾配の坂道をのんびり進んで行くと、程無くして平坦な道となった。周囲は360度の麦畑である。今の季節は黄緑色の麦穂であるが、収穫の時期には小麦色の海になるのだろう。さぞ美しい光景に違いない。そんな事を思いながら進んで行くと、道は突然の下り坂に差し掛かった。


平坦な麦畑の道を歩いていたと思ったら――


腰が抜ける程に美しい、絶景の下り坂に出た

 うぉ、なんだこの絵になるにも程がある風景は。眼下に広がる麦畑の中、一本の巡礼路がくねくねと次の村に向かって続いている。周囲には車道などが一切無く、聞こえてくるのは風の音と自分の足音だけだ。この辺りの巡礼路の景観は、おそらく昔からほとんど変わっていないのだろう。中世からの景観が今もなお残る、なるほどこれがメセタか。

 私は坂の上で立ち尽くし、しばらくの間この風景を眺めていた。そして改めて、ラベの村で歩くのをやめた昨日の判断が正しかった事を確信する。あのまま歩いてしまっていたら、この風景を逆光で見る事になっていた。それはあまりにもったいない。ラベに泊まり、午前中にこの風景を見る事こそが、唯一無二の正解だったのだ。ラベの村に私を留めてくれた、天の神に感謝しなければならない。


中世の橋を渡り、次の村に入る


巡礼路沿いに家々が並ぶ、オルニージョス・デル・カミーノの町並み

 坂を下ってオルニージョスの村に着いた私は、雑貨屋でビールを買って教会前の広場で飲んだ。時間はまだ10時。朝からビールをかっ食らうというのもダメ人間まっしぐらな感じがするが、あれだけ素晴らしい風景を見せつけられては、ビールの購入を自制する事など不可能である。そのくらい、私のテンション・メーターが振り切れていたのだ。

 広場前のバルには数人の巡礼者がいたが、いずれも徒歩ではなく自転車の人たちだ。一般的な徒歩巡礼の人は、ブルゴスを出発してその日のうちにここまで来る事が多いようだ。したがって、この時間帯にこの村の付近にいる巡礼者の数は多くない。


オルニージョスを出て先を進む


ずっと麦畑が続いているが、景色に変化が多く意外と飽きない

 オルニージョスから次のオンタナス(Hontanas)までは約12km。この区間もまた途中に村などが存在せず、ただひたすら麦畑の中の道を歩く道である。

 再び緩やかな丘を上り、平らな道を歩いてから坂を下って行くと、その先にまるで農具倉庫のような小屋が見えた。壁に大きなホタテ貝が描かれているこの建物は、サンボル(San bol)というアルベルゲである。アルベルゲとは言っても、電気はもちろん水道やトイレも無いそうで、まぁ、避難小屋的な存在なのだろう。さすがに好き好んでここに泊まる人はいないと思う。……多分。


何もない畑の中にポツンと建っているサンボルのアルベルゲ

 少し疲れを感じたので道沿いに積まれた石の上に腰掛けて休んでいると、後方から次々と巡礼者が現れ私を抜いて行った。ブルゴス出発の巡礼者が追い付いてきたのだろうか。しかし、ブルゴスとラベの距離は約12km、ラベ出発の私は時間にして約3時間のアドバンテージを有していた。それを乗り越え追い付いてくるとは、この人たちはいったい何時にブルゴスを出たのだろう。みんな、ちょっと頑張り過ぎじゃないだろうか。


走り去る女性二人組の自転車巡礼者

 オルニージョスを出た辺りから徐々に雲がかかり、サンボルで休憩を終え歩き始めた頃にはすっかり太陽が隠れてしまっていた。薄寒い中歩いていると、後方から女性二人組の自転車巡礼者が颯爽と現れ私を追い抜いた――と思いきや、そのすぐ先で片方の女性がバランスを崩し、路肩の草むらに突っ込んで転倒してしまった。

 私は「大丈夫ですか?」と女性に手を貸し助ける。女性はなんとか体勢を立て直すと、私にお礼を言ってそのまま走り去った。自転車巡礼は一見すると徒歩巡礼より楽そうな感じだが、巡礼路は未舗装のデコボコ道が多いし、パンクや故障などもあるだろうし、それはそれでなかなか大変そうである。

 さらに少し進んで行くと、巡礼路面先の谷下にオンタナスの村が見えた。尖塔を持つ教会と見張り塔を中心に、小ぢんまりと家屋がまとまっている。周囲に広がる谷の景観と相まって、なかなか雰囲気が良さそうな村であった。


巡礼路はオンタナスへと降りて行く


オンタナスの通りにはアルベルゲやバルが並んでいた

 オンタナスもまたオルニージョスと同様、巡礼路沿いに家屋が並ぶ小さな村であった。古い建物が並ぶ町並みはなかなかのものであるが、ただ村の規模にしてはアルベルゲやバルの数がやけに多く、賑やかではあるものの商売っ気が強い感じだ。谷上から見た時の印象が良かった村なだけに、少しだけ残念である。

 時計を見ると時間は13時少し前。宿に入るにはまだ早い時間であるし、この村に泊まるのもいささか気が引けたので、昼食だけ取って早々に次の町へ向かう事にした。腰を下ろす場所を求めてうろうろしていると、一軒のバルに見知った顔の男性がいた。男性は私を見るとビールのジョッキを掲げ、「ホーリー・ソックス!」と言う。おぉ、ベロラドの教会アルベルゲで一緒になったあの人か。私がブルゴス前後でうだうだしていたのにも関わらずいまだにこの辺りにいるとは、ブルゴスあたりで連泊したのだろうか。

 ホーリー・ソックスさんとはちょっとだけ話をして別れ、私は教会前のベンチでバゲットを食べてオンタナスを後にした。オンタナスを出ると巡礼路は谷沿いの道となり、さらにその先で車道と合流した。


朽ちた塔の横を通り過ぎる


並木の車道を歩いて行くと――


サン・アントンという教会の廃墟にたどり着いた

 オンタナスから2時間弱、道の先にこの教会が見えた時には「おっ」と思った。これはカステージャ王アルフォンソ7世の命により1146年に創設された修道院の跡なのだそうだ。長きに渡り救護院として巡礼者を受け入れてきたものの、18世紀に解散し廃墟となったらしい。現存する建物は14世紀のものとの事である。巡礼路はこのサン・アントンのアーチをくぐり、次のカストロヘリス(Castrojeriz)へ続いている。

 なかなか趣深い遺跡だったのでパシャパシャ写真を撮っていると、後からやってきたイタリア人の巡礼者に声を掛けられた。なんでも、このサン・アントンはアルベルゲでもあり、宿泊が可能なのだそうだ。えぇ、この廃墟がアルベルゲ?!


屋根が落ちた教会の一角に、小屋が建てられている


おぉ、立派なアルベルゲじゃないか

 あと2km程歩けばカストロヘリスの町であるが、だがしかし、このアルベルゲはスルーするにはもったいない程に魅力的ではないか。何より教会の廃墟に泊まるというシチュエーションが素晴らしい。私は即断で今日はここに泊まろうと決めた。先程のイタリア人、アントニオさんもまたここに泊まるという事で、私と共に荷物を下ろしベッドを確保した。ちなみに宿泊料は寄付である。

 このアルベルゲを管理・運営しているのは、どうやら神父さんのようである。テーブルに置かれていた雑誌をパラパラめくって眺めると、神父さんがこのアルベルゲを開いたその軌跡が写真入りで紹介されていた。確かに、この廃墟にアルベルゲを復活させた功績は、称賛されるべきものである。


こういう小物にもいちいち味がある

 本日の宿泊者は四人。私とアントニオさん、赤パーカーのフランス人男性、それといつぞやのドレッドさんである。おぉ、これまで度々会ってきたドレッドさん。相変わらず、スローなペースで歩いているようである。せっかく一緒の宿になったのだからと詳しい話を伺うと、ドレッドさんはドイツ人で名前はジョシュア、昨日はサンボルに泊まっていたらしい。うおぉ、あのサンボルに好き好んで泊まる人、ここにいた。

 このアルベルゲにはシャワーも付いているが、お湯は無く水のシャワーである。台地の上に広がるメセタは標高が高く、このサン・アントンは912mだ。水がびっくりする程に冷たく、シャワーを浴びるには気合が必要である。私の前に入っていたアントニオさんは「アー!オー!」と叫びながらシャワーを浴びていた。私もまたその冷たい水を浴び、奇声を発しながら砂埃と汗を流す事となった。


宿泊者は夕食作りを手伝う


調理するのは神父さんだ

 夕方、オスピタリエの神父さんがキッチンで食事を作り始めた。なんと、このアルベルゲは夕食付きであったのだ。宿泊者は神父さんの調理を手伝うのだが、二つしかないナイフは既にアントニオさんとフランス人男性の手にあり、私は見事にあぶれてしまった。しょうがないので食後の皿洗いをやる事にする。


おいしいペンネを頂いた

 メニューはサラダとペンネ、それとワイン。デザートは缶詰のパイナップルであった。神父さんと共にテーブルに着席し、みんなで食べる。食事を終え、よし皿洗いをするか! と腕まくりをしたものの、なんと私よりも先にドレッドさんが流し台に立ち、みんなの食器を洗い始めているではないか。結局、私はやる事無し。なんとも申し訳ない感じであった。


日が沈む中、ビールを飲みながら教会の廃墟を眺めた

 サン・アントンの入口には自販機が設置されており、冷たいビールを買う事ができる。夏のスペインは日が長い。太陽が沈むにつれ徐々に夕闇が迫ってくる、そんな色気ある時間帯を教会の廃墟を眺めながらぼんやり過ごした。日没直前、ほんのりと明るさが残った空をバックに見る、タウ十字の薔薇窓が殊に幻想的であった。