巡礼59日目:アストルガ〜ラバナル・デル・カミーノ(20.0km)






 食堂で朝食を取っていると、Sさんがわざわざ挨拶しに来てくれた。私もまた「お世話になりました」とお礼を述べる。Sさんは本当に親切で礼儀正しいお人である。そのような方が日本を離れた土地で頑張っている姿を見る事ができて、私はどこか誇らしく思った。清々しい気分でアルベルゲを出発する。


城壁の上に建つ司教館とカテドラル

 今日は雲が多いものの、日差しが出ているので気分は楽だ。ただし風がかなり強く、体感温度が低くて寒かった。アストルガの町を抜けて周囲に建物が無くなると風はさらに強さを増し、しかも山から吹き下ろす向かい風の為、進むのにかなりの体力を使った。


明るい並木の車道を歩く


小さな礼拝堂でスタンプを頂いた

 帽子を飛ばされたりしつつも何とか歩いて行くと、巡礼路の左手に小さな礼拝堂が建っていた。17世紀に建てられたエッケ・ホモ礼拝堂(Ermita del Ecce Homo)である。

 扉が開いていたので中を覗いてみると、一人の老人が椅子に腰掛け番をしていた。私と目が合った老人は、表情を崩さず無言でおいでおいでと手招きする。私はとりあえず中へと進み、拙い作法ながらもなんとか祭壇に祈りを捧げた。すると老人はスタンプを手に取り、左手をこちらに差し出して巡礼手帳をくれという仕草をした。私は慌ててザックから巡礼手帳を引っ張りだし、スタンプを押して貰う。

 おじいさんにお礼を言って礼拝堂を出る。ふと建物の横を見ると、そこには多言語表記で「信仰は健康の泉」と書かれた標識が掲げられていた。


直訳で不思議な言い回しになっているが、誰かの名言だろうか

 アストルガを出ると、巡礼路はいよいよレオン山脈へと向かう。「フランス人の道」で最高標高を誇るイラゴ峠越えは、昔から巡礼路の難所とされていた。今日はその麓のラバナル・デル・カミーノ(Rabanal del Camino)という村まで歩き、明日のイラゴ峠越えに備える予定である。

 レオン山脈に近付いて行くだけあって、アストルガを出てしばらくすると巡礼路は早くも緩やかな上りの道となった。メセタの台地で平地に慣れ切っている身としては、いきなり山道に入るよりもこのように徐々に足を慣らしてくれる方が嬉しいものだ。


ムリアス・デ・レチバルド(Murias de Rechivaldo)という村を経由する


ムリアスからは真っ直ぐ伸びる白砂の道だ

 そういえば、昨日Sさんから聞いた話によると今日の巡礼路はルートが二通りあるとの事であった。分岐点が分からなかったのでそのままメジャーなルートに入ってしまったが、もう一つのルートが経由するという古い町並みの村もかなり気になる。

 そんな事を思いながら巡礼路を進んで行くと、ふと右手に雰囲気の良さそうな村が見えた。ひょっとしたら、アレが件の村なのだろうか。今歩いている巡礼路からそれほど離れておらず、ふらっと立ち寄る事ができそうな距離である。


草地の向こうにたたずむ村が気になった


巡礼路を横切る車道を歩けば行けるようだ

 手持ちの地図を確認すると、この車道を北へ行けばあの村にたどり着けるようである。気になるモノをスルーして進んでしまうのは非常にもったいない事だし、よし、ここはちょっくら見に行ってみようじゃないか。

 巡礼路を外れて20分程車道を歩いて行くと、ようやくその村、カストリージョ・デ・ロス・ポルアサレス(Castrillo de los Polvazares)に到着した。思っていたよりも距離があって少し疲れたが、しかし村の入口に差し掛かった所でその疲れはパッと霧散した。うわ、なんだこの赤い村は。そう、赤い。村全体が赤いのだ。


家も道も、赤みがかった石で築かれている


昔の伝統的な町並みを今に伝える村である

 いやぁ、これは驚いた。ほぼ完ぺきに整った、伝統的な町並みの村である。この村がSさんの言っていた古い町並みが残る村だという事はもう間違いないだろう。丁寧に敷かれた石畳の路地に沿って、赤みがかった石を使った町並みが続いている。アストルガのカテドラルに用いられていたものと同じ、この地方で産出されるという石材だろう。

 このカストリージョ・デ・ロス・ポルアサレスは、街道沿いの在郷町として海産物や肉製品などの取引で発展した村のようである。1866年にアストルガに鉄道が開通した事で村は廃れたそうだが、それが逆に功を奏し伝統的な町並みが今に残ったのだろう。

 現在は歴史保存地区に指定され、修景などの整備が行われているようである。日本の重要伝統的建造物群保存地区に近い制度だと思うが、それよりもさらに規制が強そうな印象を受けた。あまりに見事過ぎて、周囲の村々と比べて浮いているような気がしなくもないが、まぁ、この地方の伝統的な町並みを残す村として貴重な存在なのは間違いない。


どこを見ても美しく、散策が楽しい村だ

 せっかく立ち寄ったので記念にスタンプを貰おうと思ったが、表の通りには開いているお店が一つも無かった。裏路地をさまよっていると、ようやく一軒のホテルを見つけたのでその入口を潜り、支配人らしき初老の男性に「セジョ・プロファボール(スタンプください)」と声を掛けてスタンプを貰った。

 この男性がビックリする程の紳士であった。一ユーロも落とさない通りすがりの巡礼者相手なのにも関わらず、この先の巡礼路について丁寧に説明をしてくれたり、ザックを背負うのを手伝ってくれたりと実に完璧な接客である。小さな村のホテルでこのレベルとは、いやはや、畏れ入った。


再び車道を20分歩いて元の巡礼路に戻り、引き続き歩く


サンタ・カタリナ・デ・ソモサ(Santa Catalina de Somoza)に着いた

 カストリージョでだいぶ時間を使ってしまった事もあり、サンタ・カタリナの村に着いたのは正午少し前の事であった。他の巡礼者はもうとっくに先へ行ってしまい、集落内はしんと静まり返っていた。

 私は一人、公園のベンチに腰掛けて昼食を取る。静かなのは良い事ではあるが、ここまで静かだと何だか不気味だ。まるでゴーストタウンのようである。私は早々に昼食を切り上げ、先を急ぐ事にした。


牧場……なのだろうか、動物はいない


巡礼路は山に向かって進んで行く

 アストルガから山へ続くこの道は、何だか寂しい雰囲気が漂う区間であった。これまで散々見てきた麦畑は皆無となり、牧草地とも荒地ともつかぬ土地が広がるばかりだ。牧場にしては動物の姿が見えず、所々に点在する遺跡のような家屋の廃墟が物悲しさをさらに際立たせている。この辺りの人々はちゃんと生活していけているのだろうか。

 ひとけの無い村々といい、この辺りは日本で言う所の限界集落ばかりなのかもしれない。若者は都会に流出し、住民の高齢化の為に畑や牧場は放棄され荒れて行く。住民の死と共に家屋は放置され、屋根が抜け落ち廃墟となる。綺麗に整備されたカストリージョを見学した後なだけに、色々と考えさせられた。


その先のエル・ガンソ(El Ganso)もまた寂しさ漂う集落であった


周囲の景観は次第に林へと変わる

 巡礼路はアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げて行き、周囲には木々が多くなってきた。基本的には車道沿いの未舗装路で、時々アスファルトに降りる感じの道である。車道を通る車はほとんど無く、もはや自転車巡礼者の専用道路と化している。


すっかり山道らしくなってきた


またもや謎の標語「危険は働く」

 車道からやや反れて急な山道を登って行くと、その先には礼拝堂が建っていた。本日の目的地であるラバナル・デル・カミーノはもう目と鼻の先である。

 その礼拝堂近くの看板には、これまた多言語表記で書かれた「危険は働く」の文字があった。今朝方見かけた「信仰は健康の泉」と同様、直訳過ぎて不思議な言い回しになっている日本語である。まぁ、言わんとしている事は分かるのだが、もう少し、こう、何とかならないものか。


ラバナルはすこぶる雰囲気の良い村であった

 寂しい雰囲気の集落が続いていたが、このラバナルはなかなか活気のある村だった。町並みも美しく、カストリージョと同様に石造りの伝統家屋が建ち並んでいる。


ベンチに腰掛けるおじいさんが絵になりすぎる

 ラバナルの村は標高1150メートル。小さな村ではあるが、標高1515メートルのイラゴ峠を越えるその拠点として数多くの巡礼者が滞在する村だ。その為、村の規模の割にはアルベルゲの数が多く、バルや雑貨屋も揃っている。巡礼者によって支えられている村なのだ。

 村の入口に案内板が出ていたので、私はそれを頼りに公営アルベルゲへ向かった。オスピタレラのおばあちゃんに宿泊費の4ユーロを支払い、ベッドを確保する。嬉しい事に二段ベッドでない普通のベッドで、しかもまだ他に宿泊者がおらず好きなベッドを選ぶ事ができた。時間は14時半と既に巡礼者が宿を確保し出すはずの時間帯であるが、なんでこんなに空いているのだろう。不思議なものだ。


なぜか空いていたラバナルの公営アルベルゲ

 シャワーと洗濯を手早く済ませた私は、いつもの如く村の散策へと出た。アルベルゲから目抜き通りに出る路地を歩いていると、前方から中年夫婦の巡礼者が歩いてくるのが見えた。サングラスをかけていたので一瞬分からなかったが、良く良く見ると、どうやら東洋人のようである。日本人のようにも見えるが、やはり韓国人だろうか。

 とりあえず英語で「ハイ」と挨拶すると、お二人のうちご主人の方が「アルベルゲはどこですか?」と流暢な英語で聞いてきた。私は「ここを真っ直ぐいった左側です」と答えると、ご主人はさらに「日本人ですか?」と続けたので「はい」と答える。するとご主人は日本語で「私は韓国人です。ありがとうございます」と言い、アルベルゲへ進んで行った。

 日本語でお礼を言われた事に少し驚きつつ、ご夫婦の後ろ姿を見送る。その時、ふとどこかで見た事のあるご夫婦のような気がしてきた。微かな記憶の糸を手繰り寄せ、なんとか思い出そうと試みる。……あぁ、そうだ、イラーチェ近くの巡礼路ですれ違った、50代くらいのご夫婦である。これはびっくり、20日ぶりの再会であった。


村の中心に建つサンタ・マリア教会

 さて、村の散策を続けよう。とは言うもののラバナルは極々小さな村であり、30分足らずで村の端から端まで見終えてしまった。しかしなかなかに古いモノが多く、特に村の中心に建つサンタ・マリア教会は12世紀に建てられたものであるそうだ。後方部分は後世に改装されたものらしいが、前方部分は今もなおロマネスク様式を良好に残しているという。……が、残念ながら扉は開いておらず、内部を拝観する事はできなかった。

 このサンタ・マリア教会の側には教会が運営するアルベルゲがあり(寄付で泊まれるようだ)、巡礼者はどうやらこちらに集まっているようである。なるほど、どうりで公営アルベルゲに人がいないワケだ。

 あっという間に散策を終え、それではビールでも飲もうかと雑貨に行ってみたものの、シエスタ中で閉まっていた。どうやら夕方にならないと開かないようだ。しょうがないのでさらにぶらぶらしていると、ふと「Taberna」と書かれた標識が目に泊まった。「タベルナ」とは、スペイン語で「食堂」の意味である。食堂なのに「食べるな」とはこれいかに。


町の食堂(Taberna del Pueblo)とあるが、イタリア料理(Cocina Italiana)らしい

 夕食は韓国人ご夫婦と一緒に食べた。私はいつも通りスパゲティを茹でていたのだが、いざ食べようとテーブルに向かうと奥さんに呼び止められ、御相伴に与る事となった。メニューは白米にサムゲタン、それとサラダである。おぉ、こりゃうまそうだ。

 そういえば、プエンテ・ラ・レイナのアルベルゲではシンさん姉妹もサムゲタンを作ってみんなに振舞っていた。韓国の方々は、例え巡礼中であっても料理に手を抜かないようである。料理はもちろんおいしく、ホッとできる優しい味であった。

 食事を終えると、突然ご主人が席を立ちベッドルームに駆け込んだ。何事かと思いきや、ご主人はすぐに戻ってきて「これが恋しくなってるんじゃない?」と私にビニール袋を手渡す。それを開けてみると、中から出てきたのはインスタント味噌汁であった。


これは有難い、味噌汁を分けていただいた

 このご夫婦はとても親日な方で、日本に来た事もあるという。北海道や東北、四国や九州にも行ったそうだ。カタコトではあるが日本語も話せ、日本の文化についても詳しかった。しかし、まさか日本製の味噌汁まで持参しているとは。いやはや、日本人以上に日本贔屓な方々である。私は「カムサハムニダ」とお礼を言って有難く受け取った。