御嶽昇仙峡

―御嶽昇仙峡―
みたけしょうせんきょう

山梨県甲府市
特別名勝 1953年指定


 御嶽昇仙峡は富士川の支流である荒川の上流、天神森から仙娥滝(せんがたき)までおよそ5キロメートルに渡って続く渓谷である。両岸を切り立った崖に囲まれたV字谷である御嶽昇仙峡では、巨岩があちらこちらに転がっており、自然が作り出したとは思えないような奇岩名石が点在している。また、その周囲には紅葉樹や常緑樹などが茂り、新緑や紅葉の時期には白い岩肌と相まって、ダイナミックかつ美麗な渓谷景観を目にすることができる。




V字谷の渓谷に巨石が転がる

 その地質は主に花崗岩(黒雲母花崗岩)から成っている。岩肌が白っぽいのはこの花崗岩によるものだ。花崗岩はマグマがゆっくり固まってできる深成岩の一種で、御嶽昇仙峡のものは地下で形成された後に地殻変動によって隆起した。花崗岩は風化しやすいという特徴を持ち、露出した岩肌は雨風や荒川の水流によって削られていく。そのようにしてこの渓谷は形成された。また花崗岩は規則正しく割れやすく、川床にはスパッと切られたような地形が多く見られる。




大砲岩と名が付いた、規則正しく割れた花崗岩の地形

 御嶽昇仙峡が広く人々に知られるようになったのは、江戸時代後期に長田円右衛門(おさだえんえもん)という人物が御嶽新道を開いたことによる。それまで昇仙峡近辺に住んでいた人々は、甲府へ行くのに険しい山道を一日かけて往復しなければならなかった。円右衛門はただの百姓でありながら、村民悲願の道路を作るべく有力者に協力を仰ぎ、周辺の村々から寄付を募るなど尽力した。その結果、天保5(1834)年より9年もの歳月をかけ、御嶽新道はついに開通したのであった。




昇仙峡の最上流に位置する仙娥滝

 御嶽新道が開かれて以降その景観は人々の知るところとなり、江戸から甲州街道を経て文人墨客が訪れるようになった。円右衛門は客に湯茶の世話やわらじを売り、新道を保全する資金を稼いだという。また円右衛門は金桜神社の神主や学者に奇岩の命名を依頼し、渓谷内の景勝地に名を付けた。なお、当時は御嶽昇仙峡という名は使われておらず、ただ御嶽新道と呼ばれていた。今の御嶽昇仙峡という名で呼ばれるようになったのは、昭和に入ってからのことである。




紅葉とマツタケ岩

 御嶽昇仙峡には様々な形状の岩が散在しており、主だったものには名が付けられている。亀石に猫石、猿岩といった動物をモチーフにしたものから、トーフ岩、大仏岩、五月雨岩などというようなものまである。また、昇仙峡の中間ぐらいのところには登龍岩という縦長の岩が重なり合ったような崖がある。その岩肌がまるで龍の鱗に見えることからその名が付いた登龍岩は、花崗岩の亀裂に輝石安山岩が入り込んだという全国的にも珍しい地形であるとされる。




覚円峰(左)および天狗岩(右)

 御嶽昇仙峡の上流部には、昇仙峡の主峰である覚円峰がそびえ立つ。覚円峰という名は、平安時代の僧侶である覚円が頂上に座して修行を行ったという伝説より付けられたものだ。覚円峰の向かいには天狗岩というゴツゴツした岩肌の山があるのだが、滑らかな岩肌を持つ覚円峰とは対照的である。この辺り一帯は花崗岩の白い岩肌と木々のコントラストが特に美しく、さらに上流にある仙娥滝とともに昇仙峡を代表するシンボル的な景観であると言える。

2008年11月訪問




【アクセス】

JR中央本線「甲府駅」より山梨交通バス「昇仙峡滝上行き」で約30分、「天神森」バス停下車すぐ。

【拝観情報】

遊歩道の所要時間は1時間半〜2時間(長潭橋〜滝上)。

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