姫路城大天守、西小天守、東小天守、乾小天守、イ、ロ、ハ、ニの渡櫓

―姫路城大天守―
ひめじじょうだいてんしゅ

―姫路城西小天守―
ひめじじょうにししょうてんしゅ

―姫路城東小天守―
ひめじじょうひがししょうてんしゅ

―姫路城乾小天守―
ひめじじょういぬいしょうてんしゅ

―姫路城イ、ロ、ハ、ニの渡櫓―
ひめじじょういろはにのわたりやぐら

兵庫県姫路市
国宝 1951年指定


 かつて日本には、数多くの城郭建築が存在していた。しかし、それらのほとんどが、戦災や明治の廃城令により失われてしまい、現在にまで天守が残っている城はわずかに12にすぎない。そのうち4つが国宝の指定を受け、それ以外は重要文化財となっている。そのうちもっとも良い状態で残っている白が姫路城だ。その史学的価値、建築学的価値、そして意匠の美しさから、姫路城は日本一の名城と謳われている。




備前丸跡より天守を正面に見る
右が大天守、左が西小天守、それらを繋ぐのがニの渡櫓

 現在姫路城に存在する天守は、播磨藩の藩主であった池田輝政が慶長14年(1609年)に完成させたものだ。この天守は、大天守を中心に三基の小天守が渡櫓によって環状に接続される、連立式と呼ばれる構成を見せる。南東に五層七階の大天守を据え、北東に東小天守、北西に乾小天守、南西に西小天守を配し、それぞれをイ・ロ・ハ・ニの渡櫓で繋いでいる。




ニの渡櫓の一階には水五門が設けられている
門は内庭へと繋がり大天守に至る

 姫路城の建造物は、その全てが白漆喰総塗籠造である。これは建造物の耐火性を高めるためであるのとともに、統一感ある美しい外観を作るためでもある。後期望楼型に分類される天守の屋根には、弓なりの唐破風や、山なりの千鳥破風、破風下の出格子などが設けられ、天守の外観を美しく飾っている。




大天守内部の様子
左に見える巨大な柱は東大柱である

 大天守は地上6階の地下1階、14.85mの高さの石垣に31.5mの建物が乗っている。かつての総重量はおおよそ6200トン。その重さは、西大柱と東大柱の二本の心柱によって支えられている。また建物の隅には筋交いが入れられ、建物の強度が高められている。しかしながら、それでもその重さには耐えられず、昭和に入った頃には自重により歪み、傾き、まさに倒壊寸前という有様であった。




大天守最上層から見る屋根のシャチホコ

 昭和9年(1934年)、老朽化した西の丸の渡櫓が豪雨により崩壊したのをきっかけに、昭和の大修理が行われることとなった。昭和の大修理では、全ての建物を全て解体し、建材を修理して再び建て直す解体修理が行われた。工事は第二次世界大戦により一時は中断されたものの、昭和39年(1964年)により天守の修理が完了し、昭和の大修理は終了した。




ロの渡櫓内部

 工事では、天守の重みを支えきれなかった礎石を取り除き、代わりにコンクリートを打ち込んだ。腐っていた西心柱は新しいものへと取り替えられ、屋根は軽量化された瓦により葺きなおされ、大天守は5700トンまで軽量化された。こうして、姫路城は倒壊の危機から救われたのだが、現在、再び木材の劣化などが進んできたため、2009年より平成の大修理が予定されている。

2007年02月訪問
2009年03月再訪問




【アクセス】

「姫路駅」から姫路城入口まで徒歩約15分、姫路城入口から天守まで徒歩約15分。

【拝観情報】

拝観料金600円。
拝観時間9時〜17時(入場は16時まで)、6月〜8月は9時〜18時(入場は15時まで)、
12月29日〜12月31日休館。

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