観心寺金堂

―観心寺金堂―
かんしんじこんどう

大阪府河内長野市
国宝 1952年指定


 大阪府の南東端、南は和泉山脈、東には金剛山地が連なる河内長野市。その市街地よりやや金剛山方面へと入った山麓には、真言宗高野派の仏教寺院、観心寺が存在する。観心寺は奈良時代からの歴史を有すと伝わる古刹であり、また河内の豪族である楠木氏の菩提寺としても知られている。楠木氏といえば、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて、後醍醐天皇の忠臣として足利尊氏ら北朝方と戦った楠木正成(くすのきまさしげ)が著名であるが、観心寺の付近にも正成の城であった下赤阪城や上赤阪城、千早城など、正成ゆかりの地は数多い。この観心寺の境内には、正成が建てたとされる南北朝時代の金堂が現存しており、中世密教仏堂の傑作例として国宝に指定されている。




観心寺の金堂
観心寺は北斗七星を祀る日本唯一の寺院である

 寺伝によると、観心寺は奈良時代の大宝元年(701年)、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)によって、雲心寺という名で創建されたという。その後、平安時代初期の大同3年(808年)には、弘法大師空海が雲心寺に北斗七星を勧請して如意輪観世音菩薩を刻み、観心寺と改めた。しかし伝説はともかく、実質の開祖とされるのは空海の一番弟子である実恵(じちえ)である。実恵は淳和(じゅんな)天皇から勅命を受け、弟子の真紹(しんしょう)と共に観心寺の堂宇を造営、以降は都から高野山へ向かう中継地として栄え、大寺院に発展した。現在の観心寺金堂は、建武の新政後の建武元年(1334年)頃、後醍醐天皇の勅命により建てられたもので、その作事奉行が楠木正成であった。




和様を基調としながら、禅宗様や大仏様を取り入れた、折衷様の建物である

 観心寺金堂の規模は、桁行七間に梁間七間。屋根は一重の入母屋造で本瓦葺。正面に三間の向拝を取り付けている。その建築様式は日本古来の和様をベースとしながら、柱を繰り抜いて横材を通す貫(ぬき)の技法が用いられているなど、鎌倉時代に宋から日本へ伝わった禅宗様や大仏様が採り入れられた、折衷様の仏堂となっている。組物は和様の出組(でぐみ)だが、中備(なかぞえ)は大仏様に見られる双斗(ふたつど)。正面七間のうち中側五間には禅宗様の桟唐戸(さんからど)、両脇間には連子窓(れんじまど)がはめられている。壁は白漆喰であり、木部は丹塗り。向拝の懸魚(げぎょ)と手挟(たばさみ)には若葉の彫刻が施され、鮮やかな彩色がなされている。




向拝の手挟に観られる彫刻には、彩色が施されている

 内部は手前二間を外陣とし、それに続く四間を内陣、後ろより一間を後陣とする。密教仏堂の定型通り、外陣と内陣の間は格子戸と菱格子欄間によって厳格に区分されている。一般的に密教仏堂の内陣は、閉鎖的にするのが普通であるが、ここでは内陣の左右に扉を設けている。これは、この仏堂が仏像を安置する為の金堂としてのみならず、密教の重要な儀式である伝法潅頂(でんぽうかんじょう)を行う為の潅頂堂としての機能をも併せ持つ為だ。外陣、内陣共に床は板張りで、天井は小組格天井。外陣には六本の長い虹梁を架けて外陣の柱を省略し、礼拝の為の空間を確保している。また虹梁には蟇股(かえるまた)と大瓶束(たいへいづか)が乗せられ、天井の荷重を支えている。




金堂と潅頂堂の機能を併せ持つ観心寺金堂は、内陣側面にも扉を開く

 内陣の後ろ寄りには、桁行三間、梁間一間の須弥壇が設けられ、本尊とその脇侍を納める厨子が安置されている。本尊の如意輪観音坐像は、その様式より平安時代前期の9世紀に作られたものと考えられている。一木造の肉感的な意匠が特徴的な密教彫像で、長らく秘仏であった為、彩色が残るなど状態も極めて良く、国宝に指定されている。脇侍の不動明王坐像、愛染明王坐像は南北朝時代のもので、いずれも重要文化財の指定だ。厨子の前には二組の柱が立てられており、それぞれに板壁が張られている。このうち左手の壁には金剛界曼荼羅図、右手には胎蔵界曼荼羅が描かれている。この両界曼陀羅図の間には法具が置かれ、そこで伝法潅頂の儀式が執り行われるのである。




本来は三重塔の初層部分になるはずだった建掛塔
複雑な三手先の組物と、大振りの茅葺屋根がアンバランスだ

 金堂の近くには、建掛塔(たてかけとう)という名の奇妙な建造物が存在する。これは本来、楠木正成の寄進によって建てられる予定であった、三重塔の初層部分だ。建武3年(1336年)、正成は湊川の戦いで足利尊氏(あしかがたかうじ)ら北朝勢に破れ、弟の楠木正季(くすのきまさすえ)と共に自決を果たした。それ故、建設途中であった三重塔の建立は中止され、その名の通り建てかけのまま茅葺屋根を被され、今に至るのである。この建掛塔は未完成ながら木材、建築共に質が高く、重要文化財に指定されている。なお、足利尊氏は正成の死を惜しみ、正成の首は尊氏の命によって河内の遺族へ丁重に送り届けられた。その正成の首を祀る首塚もまた、観心寺の境内に現存している。

2008年11月訪問




【アクセス】

南海高野線、近鉄長野線「河内長野駅」より南海バス小深線「金剛山ロープウェイ前行き」または「石見川行き」、あるいは小吹台団地線「小吹台行き」で約15分「観心寺バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観料500円、境内時間は9時〜17時。

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