鶴林寺本堂、鶴林寺太子堂

―鶴林寺本堂―
かくりんじほんどう
国宝 1952年指定

―鶴林寺太子堂―
かくりんじたいしどう
国宝 1952年指定

兵庫県加古川市


 丹波国の山地に端を発し、播磨平野の東を南下して播磨灘に注ぐ加古川。その河口付近には、聖徳太子が開いたとされる天台宗の古刹、刀田山(とたさん)鶴林寺(かくりんじ)の伽藍が広がっている。太子信仰の高まりと共に最盛期を迎え、鎌倉時代や室町時代には30以上もの寺坊が建ち並ぶ大寺院に成長したものの、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉による弾圧を受け、また江戸時代には幕府の圧力によって縮退の憂き目に遭った。しかしその境内には今もなお、数多くの古建造物がひしめいており、西の法隆寺と称されている。それら鶴林寺に残る建造物の中でも、鶴林寺の中心を担う本堂、および本堂の右手間に位置する太子堂の二棟は、それぞれが国宝に指定されている。




鶴林寺には、室町時代やそれ以前の建造物、石造物が多く残る

 飛鳥時代、高句麗から渡来してきた恵便(えべん)という僧侶がいた。しかし、蘇我氏と物部氏が仏教を巡って対立すると、排仏勢力から逃れる為に、恵便は播磨の地に身を隠す。そのような隠遁の身の恵便の為に、聖徳太子が秦川勝(はたのかわかつ)に命じて建立させたのが、この鶴林寺である。その後、奈良時代初期の養老2年(718年)には、武蔵国の大目(だいさかん、国司の役職の一種)であった身人部春則(むとべはるのり)が、聖徳太子の遺功を讃えるべく七堂伽藍を整備したと伝わっている。なお、創建当時は釈迦三尊と四天王を祀っており、四天王寺聖霊院という名であった。平安時代末期の天永3年(1112年)に鳥羽天皇から勅額を賜り、その際、鶴林寺に改められたのだ。




正面から見る鶴林寺本堂
和様に禅宗様や大仏様が取り入れられた、折衷様の傑作である

 現在に残る鶴林寺の本堂は、鶴林寺が繁栄を極めていた室町時代中期の応永4年(1397年)に建立されたものである。本堂以外でも、鐘楼や三重塔、護摩堂、行者堂もまた、この時期に建てられたもので、三重塔を除き重要文化財に指定されている。本堂の規模は、桁行七間に梁間六間。屋根は一重の入母屋造で本瓦葺。軒の組物は二手先、垂木は平行垂木であるなど、日本古来の建築様式である和様を基調としているが、屋根が反っていたり、建具が全て桟唐戸であるなど、大陸伝来の禅宗様色が強い。また、組物間の中備は、蟇股の上に双斗(ふたつど)が乗り、また一部の斗には皿板が付く皿斗であるなど、大仏様の要素も取り入れられた折衷様の仏堂である。




鶴林寺本堂の軒
ほぼ全ての面に桟唐戸が入る、極めて開放的な仏堂だ

 本堂内部は、手前三間が礼拝の為の外陣、後ろより三間が仏像を安置する為の内陣であり、内陣の左右には一間幅の脇陣が設けられている。外陣と内陣の間は、格子戸と菱欄間によって厳密に隔てられているが、これは密教仏堂の通例だ。本堂内部のうち周囲一間は庇部分、それ以外の内側は舎身(もや、建物の本体)。庇部分の天井は垂木をそのまま見せる化粧屋根裏で、舎身部分の天井は折上の組入天井となっている。庇を支える側柱と舎身を支える入側柱との間には海老虹梁を渡し、また舎身は太い虹梁を渡す事で、内部の柱を省略している。内陣には三間幅の須弥檀と厨子が据えられており、そこには秘仏本尊の薬師三尊像と、二天像(いずれも重要文化財)が祀られている。




東側から見る太子堂
左奥に小さく見えるのが、対を成す常行堂である

 太子堂は、平安時代後期の天永3年(1112年)の建立である。元は法華堂と称され、同じく平安時代の後期に建てられた本堂左手前の常行堂(重要文化財)と共に、法華三昧、常行三昧の行を修する場として対を成していた。このように、法華堂と常行堂を並べるのは、天台宗特有の伽藍配置である。なお、これらは現存最古の法華堂建築であり、また現存最古の常行堂建築でもある。太子信仰が盛んとなった鎌倉時代、法華堂の壁に聖徳太子の肖像が描かれ、以降は太子堂と呼ばれるようになった。屋根は檜皮葺の宝形造、法華堂時代は桁行三間、梁間三間の規模であったが、太子堂になると正面一間に通り庇を付けて縋破風(すがるはふ)の庇を葺き下ろし、今に見られる姿となった。




西側から見た太子堂
左三間が法華堂時代からの部分、一段低い右一間が拡張された通り庇である

 太子堂は、南側三間と西側の身舎部分三間に蔀戸(しとみど)が用いられ、古風なたたずまいである。軒下の組物は、法華堂部分が大斗肘木(だいとひじき)で、拡張された通り庇の部分はより簡素な舟肘木だ。堂内の中央には須弥檀が置かれ、そこには釈迦三尊像(重要文化財)が祀られていた。また南東隅には、法華堂が太子堂と呼ばれるようになった所以である、聖徳太子像(重要文化財)が描かれているが、これは秘仏扱いである為、厨子で覆われ閉ざされている。また、須弥檀背後の来迎壁や天井下の小壁には、創建当時に描かれた仏涅槃図や九品来迎図の極彩色絵図が存在するが、これらの絵は現在に痛みが激しく黒ずんでおり、赤外線写真によって昭和51年に発見された。

2010年05月訪問




【アクセス】

山陽電鉄「尾上の松駅」より徒歩約15分。
JR山陽本線「加古川駅」より徒歩約25分。
JR山陽本線「加古川駅」より加古川市ゾーンバスバスで約7分「北在家東口バス停」下車、徒歩約5分。
JR山陽本線「加古川駅」より加古川市ゾーンバスバスで約8分「鶴林寺バス停」下車すぐ。

【拝観情報】

拝観料500円、拝観時間は9時〜16時30分。

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