朝光寺本堂

―朝光寺本堂―
ちょうこうじほんどう

兵庫県加東市
国宝 1954年指定


 播磨灘に注ぐ加古川の中流域。そこにそびえる三草山の周辺は、平安時代末期の寿永3年(1184年)に源義経(みなもとのよしつね)が平資盛(たいらのすけもり)を夜襲にて破った「三草山の戦い」の舞台である。その三草山の山腹には、鹿野川という加古川の第二支流が流れているのだが、その鹿野川沿いの谷間に建つのが、真言宗の仏教寺院、鹿野山(ろくやさん)朝光寺(ちょうこうじ)だ。落差6メートルのつくばねの滝が落ちるその袂、行きかう人もほとんどいない、静かな山間にたたずむ朝光寺の境内には、そのひっそりとした寺の雰囲気にそぐわない、まことに立派な中世の大規模仏堂が建っている。それは中世折衷様仏堂の代表例として、国宝に指定されている。




朝光寺の境内に続く石段と、その上に建つ仁王門

 伝承によると、朝光寺の創建は飛鳥時代の白雉2年(651年)、インドの仙人である法道(ほうどう)が開いたとされる。法道は紫雲に乗って飛来し、インドから中国、朝鮮を経て日本にやってきたと伝わっており、また神通力で鉢を飛ばして人々から施しを受けていたともされる事から「空鉢仙人」とも称される伝説的な人物である。しかしながら、法道を開基とする寺院は近畿地方に極めて数多く、播磨だけでも60ヶ寺、丹波や摂津を含めると100ヶ寺を越えるという。その法道が日本で最初に開いた寺院である一乗寺に居を構えていた折、東の山に光が昇るのを毎朝見た。その山を訪れた法道は、住吉明神の化身と出会い、そこに寺院を開いたのが朝光寺の始まりであるという。




堂々たる構えを見せる朝光寺本堂
折衷様仏堂の代表例である

 光を発していた山に寺を開いたという伝承通り、創建当時の朝光寺は三草山の峰の一つである権現山の頂に建てられていた。ところが三草山の合戦によって兵火にかかり、朝光寺は灰燼に帰してしまう。その後の文治5年(1189年)、後鳥羽天皇の命によって再建がなされたが、その際に権現山から現在のつくばねの滝付近に境内が移されたという。現在の本堂は、室町時代中期の応永20年(1413年)に再建されたと考えられている。本堂内陣に安置されている厨子裏板の墨書より、応永20年に京都の三十三間堂から千手観音像を一体譲り受けて本尊として祀った事、正長元年(1428年)に屋根の瓦葺きが完成した事が記されており、本堂もその同時期に建てられたと推測されるのだ。




扉は禅宗様の桟唐戸、中備は大仏様の双斗と、新様式を取り入れている

 朝光寺本堂の規模は、桁行七間に梁間七間、19.57メートル四方と大ぶりである。屋根は本瓦葺の寄棟造だが、中世以降の仏堂建築は入母屋造が主であるのに対し、これは古式の様相だ。前方三間には向拝が設けられているが、この向拝は文政12年(1829年)に付け加えられたものであり、建立当初は向拝の無い仏堂であったというが、それもまた古式仏堂の様相だ。垂木は平行垂木、組物は出組(でぐみ)であるなど、建築様式は日本古来の和様を基調としながらも、柱をくり貫いて横材を通す貫(ぬき)の工法や、建具が禅宗様の桟唐戸(さんからど)、組物間の中備は大仏様の双斗(ふたつど)であるなど、鎌倉時代に宋より伝わった新様式を取り入れた、折衷様となっている。




朝光寺本堂内部
中世密教仏堂の典型だが、身舎部分の天井は禅宗様の鏡天井だ

 内部は前方の桁行七間、梁間三間が礼拝の為の外陣であり、その奥に続く桁行五間、梁間三間が仏像を安置する内陣で、内陣の三方を取り囲むように一間幅の脇間が設けられている。中世密教仏堂の典型通り、外陣と内陣の間には格子戸と菱欄間が入れられており、人と仏の空間を厳密に区分している。内部の外側周囲一間は庇部分にあたり、その天井は垂木をそのまま見せた化粧屋根裏。身舎(もや、建物本体の事)部分の天井は、平らな板を張った鏡天井である。なお、この鏡天井もまた、禅宗様の様式だ。柱は、身舎の外周を支える入側柱のみを残し、それより内側の柱は虹梁を架けて省略している。このように入側柱のみを残すのは、天台宗の仏堂に多く見られる特徴だ。




本堂の奥に建つ鐘楼
鎌倉時代後期の建造で、重要文化財に指定されている

 内陣の後ろよりには、本尊を安置する四間幅の厨子が据えられている。禅宗様の様式を示すこの厨子は、背後に残っていた墨書から分かる通り、本堂と同時期に作られたものであり、本堂の附けたりとして国宝に指定されている。朝光寺の本尊は二体の十一面千手千眼観音像で、どちらも秘仏としてこの厨子内に祀られている。そのうち向かって右側に安置されている通称「東本尊」は、境内が権現山の山頂から現在地に移された際に安置されたと伝わるもので、平安時代後期の作とみられる。また、左側に安置されている通称「西本尊」は、前述の墨書にある三十三間堂から譲り受けた千手観音像とされる。寺伝によると、東本尊は定朝の作、西本尊は湛慶、あるいは近い人の作とされる。

2010年05月訪問




【アクセス】

JR山陽本線「明石駅」より神姫バス「社行き」で約90分、終点「社バス停」下車。「社バス停」より「天神行き」または「三田行き」で約25分「上久米朝光寺口」下車、徒歩約60分。

【拝観情報】

境内自由。

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