法隆寺東院夢殿

―法隆寺東院夢殿―
ほうりゅうじとういんゆめどの

奈良県生駒郡斑鳩町
国宝 1951年指定


 飛鳥時代からの長きに渡る歴史を持ち、数多くの歴史的建造物が極めて高い密度で残ることなどから国の史跡に指定され、またユネスコの世界遺産リストにも記載されている法隆寺。斑鳩(いかるが)の里に広がるその壮大な境内は、主に西院(さいいん)伽藍と東院(とういん)伽藍に分けられる。そのうち西院伽藍は飛鳥時代に築かれた金堂と五重塔を中心とするのに対し、東院伽藍は奈良時代の中期になって聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ)の住居であった斑鳩宮の跡地に創建された寺院である。その中心を成す「夢殿」は天平建築の傑作として知られており、榮山寺八角堂と共に奈良時代の八角円堂を今に伝える稀有な存在として国宝に指定されている。




西院伽藍から続く路地に面して構えられた「法隆寺東院四脚門」(重要文化財)

 推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営した聖徳太子は推古天皇13年(605年)に移り住み、推古天皇15年(607年)には亡き父である用明天皇のため斑鳩宮の西側に斑鳩寺を創建した。推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後も、斑鳩宮は聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)の宮殿として利用されて続けていた。しかしながら、山背大兄王の一族は皇極天皇2年(643年)に対立していた蘇我入鹿(そがのいるか)によって滅ぼされ、その際に斑鳩宮は火を放たれ灰燼に帰した。また斑鳩寺は天智天皇9年(670年)に起きた大火によって焼失したが、間もなく再建が始められ、奈良時代の初頭までに現在の法隆寺西院伽藍が整備された。




「夢殿」の頂上に据えられている露盤宝珠
宝瓶に宝蓋が乗り、華麗な光明を伴う優品として著名である

 東院伽藍の創建は天平10年(738年)頃、朝廷から篤い信任を受けていた高僧の行信(ぎょうしん)が荒廃した斑鳩宮跡の様子を嘆き、聖徳太子を追慕するため宮跡に建立した「上宮王院(じょうぐうおういん)」を元にする(上宮王院は平安時代に法隆寺に取り込まれ、現在の東院伽藍となった)。昭和9年(1934年)から始められた法隆寺の大修理に伴う発掘調査によって、東院伽藍から数棟の掘立柱建物が検出されており、斑鳩宮の跡地であることが確認された。またこの調査では東院創建当初における廻廊や南門の規模なども判明している。天平20年(748年)には聖徳太子命日の法要である「聖霊会(しょうりょうえ)」が始められ、以降は太子信仰の聖地として崇敬を集めていった。




夢殿は礼堂(らいどう)、舎利殿及び絵殿、東西廻廊に囲まれた中に建つ

 東院伽藍は八角形の平面を持つ「夢殿」を中心とし、その南側には鎌倉時代の寛喜三年(1231年)に築かれた「礼堂」、北側には承久元年(1219年)の「舎利殿及び絵殿」が建ち、それらの左右から伸びる嘉禎三年(1237年)建立の「東廻廊」及び「西廻廊」が聖域を区画している。また東院伽藍の西端、西院伽藍の東大門から続く路地に面した位置には鎌倉時代前期の「四脚門」、東院伽藍の南端でかつての正門にあたる位置には室町時代中期の長禄三年(1459年)に築かれた「南門(不明門)」が構えられており、また境内の周囲は江戸中期元禄9年(1696年)に築かれた築地塀「大垣」によって取り囲まれている。これら東院伽藍を区画する建造物群は、いずれも重要文化財に指定されている。




鎌倉時代の大改造によって建ちが高くなり、無骨さも増している

 創建当初の夢殿は単に「八角仏殿」などと称されていたが、平安時代に入る8世紀末頃から「夢殿」と呼ばれるようになった。この名称は聖徳太子が『法華義疏(ほっけぎしょ)』などを作成中、夢の中に金人(きんじん、仏像あるいは仏陀)が現れ教示を受けたという伝説に由来するものだ。夢殿は壇上積基壇の上に礎石を置き、八角柱を建てて築かれている。屋根は一重の本瓦葺、頂上に露盤宝珠を載せる。創建当初の建築であるが幾度かの修理を受けており、特に鎌倉時代の寛喜二年(1230年)には組物を一段分積み重ね、軒の出を増して屋根の勾配を強めるなどの大改造を受けた。しかしながら全体的に当初の様相を残しており、天平の姿に復原することも可能である。




軒は二軒繁垂木、組物は出三斗、中備は平三斗である
中間装置は四方に板扉を開き、それらの間には連子窓を入れている

 夢殿内部の床は石敷であり、二重の須弥壇が据えられている。須弥壇中央の厨子には夢殿の本尊であり「救世(ぐぜ)観音」として知られる白鳳時代の「木造観音菩薩立像」(国宝)が安置されている。天平宝字5年(761年)の『法隆寺資財帳』には「上宮王(聖徳太子)等身観世音菩薩」とあり、聖徳太子の肖像として作られたという説もある。13世紀頃より秘仏として白布に巻かれ封印されていたが、明治時代に美術研究家のアーネスト・フェノロサと岡倉天心によって封印が解かれたことでつとに有名だ。その右奥には東院創建者の行信を祀る「乾漆行信僧都坐像」(国宝)、左奥には平安時代に東院の再興に尽力した道詮(どうせん)を祀る「塑造道詮律師坐像」(国宝)を安置する。

2006年05月訪問
2010年04月再訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR関西本線「法隆寺駅」から徒歩約20分。
・JR関西本線「法隆寺駅」から奈良交通バス「法隆寺参道」行きで約10分、「法隆寺参道」バス停下車、徒歩約5分。
・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から奈良交通「法隆寺前」行きバスで約30分、終点下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・拝観料:中学生以上1500円、小学生750円(西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍を含む)。
・拝観時間:2月22日〜11月3日は8時〜17時、11月4日〜2月21日は8時〜16時半。

【参考文献】

聖徳宗総本山 法隆寺
法隆寺東院夢殿|国指定文化財等データベース
・講談社MOOK 国宝の旅

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