法隆寺東院鐘楼、法隆寺東院伝法堂

―法隆寺東院鐘楼―
ほうりゅうじとういんしょうろう
国宝 1955年指定

―法隆寺東院伝法堂―
ほうりゅうじとういんでんぽうどう
国宝 1951年指定

奈良県生駒郡斑鳩町


 飛鳥時代の推古天皇15年(607年)に聖徳太子が創建して以降、法灯を守り続けてきた法隆寺。現在の境内は飛鳥時代から奈良時代初頭にかけて整備された「西院(さいいん)伽藍」と、奈良時代の中期に創建された「東院(とういん)伽藍」に大別される。そのうち東院伽藍は「夢殿(ゆめどの)」を中心として、諸堂と廻廊が取り囲む構成である。廻廊外の北西に聳える「東院鐘楼」は、平安時代末期の古材を利用して鎌倉時代前期に築かれたものであり、袴腰(はかまごし)付きの鐘楼として現存最古であることから国宝に指定されている。また廻廊外の北に建つ「東院伝法堂」は奈良時代の邸宅を仏堂に改築したもので、古代貴族の住居を知る上で貴重な史料であることから国宝に指定されている。




正面から「東院鐘楼」を望む
上層内部には奈良時代の梵鐘(重要文化財)が吊るされている

 「東院鐘楼」は夢殿の北側に位置する「舎利殿及び絵殿」(重要文化財)と、その北側に位置する「東院伝法堂」の中間西側に東面して建つ。天平宝字五年(761年)の『法隆寺東院資財帳』には記述がなく、歴代別当が記した『法隆寺別当次第』に応保三年(1163年)の建立とあるのが文献上での初見である。現存のものは鎌倉時代の特徴を見せているが、部分的に応保の頃のものと見られる部材も残っており、平安時代末期に築かれた鐘楼を鎌倉時代前期に部材の大部分を取り換えて再建したものと考えられている。その後、桃山時代に小屋組や妻飾を改め、江戸時代には袴腰の下に地覆石を入れ、全面漆喰塗であった腰袴の下方三分の二を板張にするなどの変更を受けて今に見られる姿となった。




上層の組物は軒天井と支輪を設ける二手先である

 「東院鐘楼」は桁行三間、梁間二間の規模であり、屋根は入母屋造の本瓦葺だ。低い基壇の上に建っており、下層は角柱を立てて軸部を足固貫、飛貫、頭貫で固め、柱の上に台輪を置いて上層の丸柱を受けている。縁は頭貫を伸ばして支え、組高欄を巡らせたシンプルな形式である。上層の組物は軒天井と支輪を備える二手先であるが、手先の三斗を省いて支輪桁を直接受けるやや簡素なものとなっており、このような形式は珍しい。軒は二軒の繁垂木。垂木の間隔が各柱間で異なるが、これは応保に築かれた当初のものを踏襲していると考えられ、中世初頭に成立した枝割(しわり、垂木の幅と間隔を一枝として各部材の大きさを決める基準)の過渡期を示す例といえる。




「東院伝法堂」は桁行七間、梁間四間の規模、屋根は一重の切妻造で本瓦葺だ

 「東院伝法堂」は東院伽藍の講堂にあたり、『法隆寺東院資財帳』には天平末年頃に聖武天皇の夫人であった橘古那可智(たちばなのこなかち)が寄贈したと記されている。昭和13年(1938年)から昭和17年(1942年)にかけて実施された解体修理の際に高級貴族の邸宅を仏堂風に改築した建物であることが明らかとなり、資財帳の記述が裏付けられた。調査によると改築前の建物は桁行五間、梁間四間の規模であり、屋根は切妻造の妻入で檜皮葺。前方二間分は吹き放ちの開放的な空間であったのに対し、後方三間分は壁や戸に囲まれた閉鎖的な空間であり、部屋により機能が分けられていたことが分かる。床は全面板張であり、正面には幅約6メートルの簀子縁(すのこえん)が備えられていた。




「東院伝法堂」の妻面に見られる「二重虹梁蟇股」
虹梁は天平らしい伸びやかな曲線を描く

 その邸宅を東院伽藍の講堂として移築する際に部材を足して桁行を七間に拡張し、間仕切りも左右対称に改め、屋根を本瓦葺にするなどの改造を施して仏堂に仕立て直した。しかしながら今に見られる姿は天平の仏堂として違和感がなく、元の邸宅が仏堂に匹敵する格を備えていた建築であったことがうかがえる。礎石の上に丸柱を建て、地覆と頭貫で軸部を固めている。桁行の組物は大斗肘木であり、中備は入れていない。架構は二重の虹梁を蟇股で支える「二重虹梁蟇股」であり、庇を結ぶ繋虹梁にも蟇股を置いて中間桁を支えている。柱間装置は正面側の中央三間に板扉を開き、それらの左右間を連子窓とする。背面は中央間のみ板扉であり、その左右間を連子窓とする。




「東院伝法堂」の正面側
前方に建つ「舎利殿及び絵殿」から渡り廊下で続いている

 内部は天井を張らない化粧屋根裏であり、床は奈良時代の仏堂としては珍しく全面板張であるが、これは邸宅であった頃の名残である。背面入側柱の中央三間に来迎壁を設け、その前面に建ちの低い須弥壇を据えて内陣とし、梁から吊るした承塵(しょうじん、屋根裏から落ちる埃を防ぐための板)を天蓋として「東の間」「中の間」「西の間」に分けている。なおこの天蓋は痕跡から元は柱や浜床を備えた御帳台風の厨子であったことが分かっている。それぞれの間には本尊として奈良時代の「乾漆阿弥陀如来及び両脇侍像」(いずれも重要文化財)を祀り、また平安時代の「木造梵天帝釈天立像」(重要文化財)や「木造四天王立像」(重要文化財)など計20体の仏像が安置されている。

2006年05月訪問
2010年04月再訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR関西本線「法隆寺駅」から徒歩約20分。
・JR関西本線「法隆寺駅」から奈良交通バス「法隆寺参道」行きで約10分、「法隆寺参道」バス停下車、徒歩約5分。
・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から奈良交通「法隆寺前」行きバスで約30分、終点下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・開門時間:8時〜17時。

【参考文献】

聖徳宗総本山 法隆寺
法隆寺東院鐘楼|国指定文化財等データベース
法隆寺東院伝法堂|国指定文化財等データベース
・講談社MOOK 国宝の旅

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