法隆寺南大門、法隆寺東大門

―法隆寺南大門―
ほうりゅうじなんだいもん
国宝 1953年指定

―法隆寺東大門―
ほうりゅうじとうだいもん
国宝 1952年指定

奈良県生駒郡斑鳩町


 飛鳥時代の推古天皇15年(607年)に聖徳太子によって建立された斑鳩寺こと法隆寺。当初の伽藍は天智天皇9年(670年)の大火によって焼失したものの、間もなく再建が始められ、奈良時代初頭までに西院(さいいん)伽藍が整えられた。また天平11年(739年)には聖徳太子の宮殿であった斑鳩宮の跡地に東院(とういん)伽藍が築かれている。その後、子院の増加等により境内の拡張が行われ、法隆寺は現在に見られる規模となった。その広大な境内の正面玄関にあたるのが南大門だ。また西院伽藍から東院伽藍へと続く路地には東大門が構えられている。このうち南大門は室町時代に再建されたもの、東大門は奈良時代に築かれたものが残っており、それぞれ国宝に指定されている。




法隆寺南大門は前後に四本ずつ、計八本の控え柱を並べた八脚門だ

 西院伽藍が整備された当初の南大門は、中門のすぐ南側の石段上に築かれていたが、平安時代中期の長元年間(1028〜1037年)頃、境内の拡張に伴い現在地に構え直されたと考えられている。当初のものは室町時代中期の永享7年(1435年)に焼失し、現在の南大門は永享10年(1438年)に再建されたものである。その後、慶長11年(1606年)、元禄10年(1697年)、大正3年(1914年)に修理が行われ、現在まで維持されてきた。自然石を用いた礎石の上に丸柱を立てた三間一戸の八脚門(やつあしもん)であり、中央間に扉を開き、左右間を土塀とする。屋根は入母屋造の本瓦葺である。門の前後で地形に段差があるため前面のみを壇上積基壇とし、背面には雨落溝を巡らしている。




花形の装飾を施した「花肘木」など華やかな意匠を見せる

 南大門は頭貫に木鼻を付け、組物は実肘木および拳鼻を持つ出組、隅方向にのみ尾垂木を用い、中備は花肘木である。軒は二軒(ふたのき)の繁垂木、中央から左右に強い反りを持たせているのが特徴的だ。妻飾は虹梁大瓶束であり、内部は組入天井を張っている。通常、南大門は左右間に仁王像を安置するのが一般的だが、法隆寺では創建当初より南大門ではなく中門に仁王像を祀っている。南大門の平面寸法は天平19年(747年)成立の『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』にある仏門の一つとほぼ一致しており、当初の規模を踏襲していると考えられるが、屋根は入母屋造で天井を張り、組物も凝るなど、より華やかな中世的特色を見せており、室町時代の門の中でも傑作と評されている。




南大門とは対照的に古式ゆかしい奈良時代の法隆寺東大門

 東大門は西院伽藍の東側を仕切る築地塀に東面して構えられている。西院伽藍と東院伽藍を繋ぐ道筋の中間点に位置することから「中ノ門」とも呼ばれ、東大門を出てさらに東へ進むと夢殿を中心とする東院伽藍へと至る。昭和9年(1934年)に実施された解体修理において部材から数多くの番付墨書が発見されており、それにより元々は南面して構えられていた門であり、平安時代末期ごろに現在地へ移されたことが判明している。移築前はどこに位置する門であったかは定かではないが、西院伽藍建立当初の旧南大門に連なる南面築地に沿った、現在の食堂(じきどう)や細殿(ほそどの)の南側、当時における大衆院(だいしゅういん、寺務所)の表門であったという説が有力である。




東大門は奈良時代特有の「三棟造」である
表側も裏側も、内部は切妻造の垂木を見せている

 東大門もまた南大門と同じく八脚門であるが、東大門は奈良時代の建築様式を留めており趣きを異にする。天井を張らずに垂木をそのまま見せ、また棟木を門の中心部のみならず前後の柱間にも入れ、内部から見るとまるで二つの切妻屋根を並べたかのようだ。このような構造は、屋根の棟と内部の二つの棟を併せて計三つの棟が見えることから「三棟造」と呼ばれている。他の時代には見られない様式であるが、同じく奈良時代に築かれた東大寺の転害門もまた三棟造であり、当時代における正統的な技法であったと考えられている。他にも丸柱の上部のみをすぼめ、肘木に上面の笹繰や木口の張り出しを作り、のびやかな二重虹梁蟇股の架構であるなど、奈良時代の特徴を色濃く残す。




南大門の左右に続く西院大垣の南面
風雨の浸食による版築の縞模様が露出しており年月を感じさせる

 法隆寺の西院伽藍は四方を築地塀によって囲んでおり、各方向の出入口として南大門、東大門、西大門を構えている。これらの築地塀は粘土を棒で何層にも突き固める「版築(はんちく)」の技法によって築かれている。現存するものは江戸時代中期の元禄10年(1697年)に築かれたものが大半であるが、西面の一部には室町時代のものも残っている。また南大門の内側から左右に続く、子院の敷地を区画する築地塀もまた江戸時代に築かれたものだ。これらの築地塀は法隆寺の歴史的風致を形成する重要な要素であり、西院伽藍を囲むものは「法隆寺西院大垣」として、子院を区画するものは「法隆寺西院西南隅子院築垣」および「法隆寺西院東南隅子院築垣」として重要文化財に指定されている。

2006年05月訪問
2010年04月再訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR関西本線「法隆寺駅」から徒歩約20分。
・JR関西本線「法隆寺駅」から奈良交通バス「法隆寺参道」行きで約10分、「法隆寺参道」バス停下車、徒歩約5分。
・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から奈良交通「法隆寺前」行きバスで約30分、終点下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・拝観自由。

【参考文献】

聖徳宗総本山 法隆寺
法隆寺南大門|国指定文化財等データベース
法隆寺東大門|国指定文化財等データベース
・講談社MOOK 国宝の旅

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