遍路30日目:道の駅 ふれあいパーク大月〜宿毛市内ビジネスホテル(29.7km)






 金曜の夜は道の駅での宿泊を避けた方が良い。それが昨夜の野営で得た教訓であった。完全に失念していたのだ。このような集落から離れた国道沿いの道の駅は、地元のお子様たちの溜まり場になるということを。

 彼らは日付が変わる頃に車で来襲し、ガヤガヤとだべり続けていた。距離が離れた駐車場でならまだマシなのだが、雨が降っているので私がテントを張ったアーケード下に居座るものだからたまらない。挙句の果てには「朝まで遊ぼう」だの「いいや帰る」だのといった口論が始まり、私の安眠はこれでもかというくらいに妨げられた。


天気も相変わらずで、うんざりを通り越してげんなりな朝である

 今日も引き続き雨である。まぁ、台風が接近しているのだから当然といえば当然なのだが。今夜から明日にかけてピークを迎えるということなので、昨日のうちに宿毛のビジネスホテルに二泊分の予約を入れておいた。足摺岬で宿を取ってからまだ三日しか経っていないが、こればかりは致し方ない。台風の暴雨の中を歩いたり、ましてや幕営など自殺に等しい行為である。今日はできるだけ雨が酷くないように祈りつつ、宿毛を目指して歩くことにする。


色付きつつあるアジサイ、梅雨である

 道の駅から30分ほど歩いたところで、大月町の中心市街地である弘見へと差し掛かった。町役場を横目に歩いていくと、国道321号線に沿って数軒の商店とガソリンスタンドが並んでいる。それ以外は民家が連なるだけの、静かで小さな町である。

 ささやかな町場を通り抜けようとしたその際、右手の路肩に立つ遍路小屋の看板に目が留まった。昨日の夕方、宿泊地の候補として考えていた遍路小屋である。道の駅はお子様たちでうるさかったし、どうせならこちらにすれば良かったか。……などと思う間もなく、小屋の状態を見た瞬間に道の駅で思い止まって良かったと安堵した。


とても寝られるような遍路小屋ではない

 ほぼ吹きさらしの状態なので雨風には無力。周囲は住宅地なので人の目も気になるところだ。多少騒がしくても道の駅にしておいて正解であった。しかしこのような場所でも寝る人がいて家主や近所の迷惑になったのだろうか、あるいは小屋を支える竹材が雨で痛んでダメになったのだろうか、理由は定かではないが、その後にこの遍路小屋は廃止となり、現在は撤去されているようである。

 引き続き、あまり変わり映えのしない山間の国道321号線を進む。降り続ける雨に耐えつつ一時間ほど歩いたところで大月町を抜けて宿毛市に入った。この調子なら昼前には宿毛市の中心市街地に到着できるだろうが、できればその前に昼食を買っておきたいところである。そろそろコンビニの一つや二つないものか。そんなことを考えながら歩いてると、道路の前方にスーパーらしき看板が見えた。しめたと思い近づくと……。


スーパーではなくコメリ(農業用品店)であった

 スーパーやコンビニが全くないような場所であっても、コメリはさも当たり前のように店舗を展開している。スーパーだと思って近付くとコメリ、というのは歩き遍路あるあるだ。最初の頃はよく間違えてガッカリしていたものである。最近はもう間違えないかと思いきや、やっぱり間違えてガッカリしている。


ようやく山間を抜けて海岸沿いに出た

 大月町は山間の区間ばかりが続いていたが、国道321号線は宿毛市に入ると再び海岸沿いの道となる。道路沿いには山を大きくえぐった採石場や、綱を張った不思議な雰囲気の祠など、ところどころに目を引くモノも散在する。とはいえ、やはりしっかり整備された国道なので道としての単調さは否めない。


というワケで、国道を反れて旧道を歩いてみたりする

 今では山を切り崩すなどして直線的な二車線路が確保されている国道321号線であるが、かつてはこの細い石積みの道を通っていたのだろうか。ちょっとした岬を迂回するだけの何もない道路である。現行の国道を行けばわずか50メートル、1分足らずの距離を3分かけて歩く。ただ遠回りになったけだが、画一的な車道に飽きていたところだったので、ちょうど良いアクセントになったというものである。

 岬の北側に周ったところで、少し先の高台になにやら楼閣のような建物が見えた。あれは一体なんだろう。再び国道と合流してその奇妙な建物を目指す。辿り着いてみるとそこは道の駅の敷地であり、建物は遍路小屋であった。


ここで寝てくださいと言わんばかりの、おあつらえ向きな遍路小屋である

 「道の駅茶堂」と銘打たれたこの遍路小屋、宿毛界隈の伝統的な寄合所である「泊屋」を模したデザインとのことだ。道の駅ではあるものの駐車場や道路から離れているのでうるさくない。二階建てで壁はないが、上層にはすだれがかかっており人の目も気にならない。屋根の軒は十分に深く、雨の浸入も防いでくれる。これほど宿泊に適した遍路小屋はあるだろうか。あまりに理想的すぎる野宿ポイントである。

 やはり知っている人は知っているらしく、一昨日の夜に土佐清水の道の駅でご一緒したお坊さん遍路も、昨日の朝に「今日は宿毛の道の駅まで行きます」と言っていた。敷地の奥には屋根つきの野外ステージがあり、こちらもテントを張る場所として最適だ。この道の駅ならば野宿でも台風をしのげたかもしれない。宿を取ったのは早計だったかなと若干後悔しつつ、宿毛を目指して歩みを進める。


やがて松田川大橋が見えた
これを渡れば宿毛の中心市街である

 時間はちょうど10時。結果的に土佐清水から宿毛まで開いているお店は一軒もなかったので、是が非でもスーパーに立ち寄りたいところである。というのも、今日はこれから宿毛の東に位置する第39番札所の延光寺へと向かう。地図を見る限りその道中にはお店がなく、なおかつ到着するのは昼過ぎとなりそうだ。今のうちに食料を調達しておかないと昼ご飯抜きという悲しい事態に陥ってしまう。

 松田川大橋から遍路道を外れ、北へ300mほど進んだところにコンビニがあった。おにぎりをいくつか見繕って購入する。一昨日から食事はずっとパンばかりだったので、米に飢えているのである。腹にずっしりと溜まる米と違い、パンはどうにも食べた気がしない。


再び松田川大橋に戻り、川沿いの堤防を歩いていく

 東宿毛駅で堤防を離れ、国道56号線を東へ進む。周囲の景色は再び山がちとなり、緩やかな坂道を黙々と上り続けていく。この道は第39番札所から次の第40番札所へ向かうルートでもあるので一人や二人とすれ違ってもよいものだが、道行く遍路は皆無であった。まぁ、たいていの遍路は宿毛市街地に宿を取るのだろうし、となるとこの道を歩くのは夕方近くになるはずだ。まだ時間が早すぎるのだろう。


時折国道から里道へと入り、いくつかの集落を抜けていく


途中の無人販売所ではサカキやシキミが売られていた
「神サマ」「仏サマ」の書体が独特の味を出していて目を引く

 そろそろ正午。先程買ったおにぎりを食べたいところであるが、雨が降っているので屋根があるところでないと休憩を取ることができない。本当に雨というものは鬱陶しいものだ。しょうがなく、無人販売所の軒先を借りて立ったままおにぎりを貪る。


さらに雨脚が強まる中、工場脇の畦道を行く

 ここにきて急激に雨が強くなってきた。山間に入ったということも影響しているのだろうが、それ以上に台風が確実に迫ってきている事実を痛感する。急ぎ足で農道を進み、その奥の集落を抜けたところで山門が姿を現した。足摺岬から雨風に耐えること三日間、ようやく修行の道場こと土佐国最後の札所、第39番の延光寺に到着である。


雨が境内の石畳を叩く中、本堂と大師堂でお参りを済ませる


背中に梵鐘を乗せた亀の像があった

 寺伝によると、延光寺の創建は奈良時代の神亀元年(724年)。聖武天皇の勅命を受けた行基が薬師如来を刻み、これを本尊とする本坊および十二の坊を建てて開山したとされる。その後の延暦年間(782〜805年)にこの地を訪れた弘法大師が桓武天皇の勅願所として再興し、日光菩薩像と月光菩薩像を安置して七堂伽藍を整備したそうだ。

 当初は亀鶴山施薬院宝光寺という名であったが、平安中期の延喜11年(911年)頃に竜宮の亀が銅鐘を背負って現れ寺に奉納したといい、それにより赤亀山寺山院延光寺という現在の寺名に改められた。結構な山の中にありながら竜宮とはまた不思議な話であるが、事実、延光寺には延喜11年(911年)正月との銘がある小型の銅鐘が伝わっており、平安時代初期まで遡る貴重な梵鐘として重要文化財に指定されている。


本堂の横には「眼洗い井戸」なる湧き水がある

 これまでの遍路道で度々見かけてきた弘法大師の加持水伝説であるが、この延光寺にもまた同様の逸話が伝わっている。なんでも寺の再興の際、この地に清らかな水がないことを嘆いた空海が地面を錫杖で突いたところ水が湧き出し、空海はその水を「宝医水」と名付たという。眼病に効くとのことからいつしか「目洗い井戸」と呼ばれるようになり、現在もその伝説にあやかって目を洗う人が多いようだ。

 それにしても、結構な雨なのにも関わらず境内は数多くの遍路で賑わっている。結局のところ、足摺岬を出てからこの延光寺に到着するまで見かけた遍路は例のお坊さんただ一人であった。これほどの白装束を見るのは実に久しぶりで、一体どこから湧いて出てきたのだろうと言いたくなるくらいの盛況ぶりだ。ほとんどの遍路は東岸の打ち戻りルートを歩き、西岸を行く人はごく僅かなのだろうか。

 とりあえず境内の建造物を写真に収めたいのだが、こうも人が多いとなかなか撮りづらい。山門の前でカメラを構えたままシャッターチャンスを伺っていると、突然一人の若い男性遍路に「写真を撮らないでください!」と怒鳴られた。いや私はあなたではなく山門を撮りたいのであって、むしろあなたが通り過ぎるのを待っていたのだが……。四国八十八箇所霊場には様々な事情を抱えた遍路がいるものである。中には顔や姿を写真に撮られたらマズイ人もいるのだろう。私はひとりでそう納得をしつつ、延光寺を後にした。


延光寺の門前からは、未舗装の遍路道が伸びていた


ちょっとした山を越える古道である

 ゆっくり歩いて20分足らずで抜けられる里山の道であるが、青々とした竹が茂っておりなかなかに気持ちが良い。天気が天気なので少々薄暗いものの、木々の枝葉が雨を防いでくれており、直接濡れることがない。それもまた、古道を歩くメリットだ。


あえて違う道を歩いて宿毛へと戻る

 延光寺からの遍路道は宿毛へと続き、松尾峠を越えて伊予国へと入る。西岸ルートを歩いてきた私は宿毛へと引き返すことになるのだが、やはり同じ道を歩く打ち戻りにはいささかの抵抗がある。なので、行きでは歩かなかった道を選んで進むことにした。

 往路で国道56号線を歩いた区間は並走する里道を行き、里道を歩いた区間は国道を行く。自分でも妙なこだわりだと思うが、道を変えることで先程とはまた違った景色を発見する、その可能性を広げるための試みなのだ。


なかなかに高い石垣を持つ棚田である


「たっすいが」とはどういう意味だろうか

 途中の居酒屋にあったこの看板。気になったので調べてみると、「たっすいが」とは土佐弁で「弱々しい」という類の意味らしい。要するに「薄いビールはいかん」ということだろうか。こういう企業のキャッチフレーズにも土地柄が表れるものである。


松田川に架かる宿毛大橋を渡る


すると、レトロな木舟を漕いでいるおじさんがいた

 これには本当に驚かされた。木舟にはエンジンの類が付いておらず、手に持った竿一本で舟を動かしているのだ。何やら川の様子をうかがいつつ、しきりに竿を川へと叩きつけている。舟の上にあるのはバケツ一個。他に道具はないようなので、漁をしている感じではない。このおじさんはその伝統的な操船技術をもって、一体何をしているというのだろう。その謎は解けることのないまま宿毛大橋を渡り切り、私は宿毛市街地へと足を踏み入れた。


松野大橋の西詰めには、大型の遍路小屋が建っていた

 道の駅の遍路小屋に続き、こちらもまた非常に立派なものである。なんでも、かつて暴力団がこの場所に事務所を構える動きがあり、それを阻止すべく住民たちが結束して土地を買い戻したとのことで、この遍路小屋はその記念碑的な存在らしい。

 小屋には壁がないものの、内部は広々としており数人が一度に寝られる規模である。今夜の台風も問題なくやり過ごせることだろう。実際、小屋の奥にはレインコートを干している人の姿があった。恐らく今夜はこの小屋に泊まるつもりなのだろう。


宿毛の中心部には古い家もそこそこ残る


明治時代に大臣を務めた「林有造」の邸宅だそうだ。立派な門構えである


この辺りはかつて武家町だったのだろう
雰囲気の良い土塀が連なっていた

 町の歴史を感じさせる家々を眺めながら、懐かしさが残る風情の通りを歩いていく。古い町並みは次第に馴染みのある昭和中期頃の町並みへと変わっていき、さらに進むと田畑を潰して築かれた新興の市街地となった。

 そんな折、ふと左手を見ると全面が黄色く塗られた建物があった。その上部には「宿毛警察署」と書かれている。……えぇ、これが警察署なのか?


なんだかアレすぎる感じの宿毛警察署

 どこかで見た事あるような建物というか、なんというか。まるでヤマダとかコジマとか、その系統の店舗のようではないか。警察署といえば無骨で閉鎖的なイメージであったが、キラキラとした照明といい、ガラス張りといい、これほどオープンで風通しの良さそうな雰囲気を持つ警察署が他にあるだろうか。

 なんでも古くなった警察署を建て替えている最中らしく、その期間だけ潰れた電器屋の建物を間借りしているとのことである。一時的とはいわず、恒久的に使い続ければお堅い警察署のイメージも変わりそうなものだが、やはり少々奇抜というか、悪く言えば間抜けな感じだ。警察の威厳が損なわれて犯罪が増えたりしたらそれはそれでコトである。


17時頃、予約しておいたビジネスホテルに入った

 雨の中を歩くのは肉体的にも精神的にも堪えるらしく、熱いシャワーを浴び、ホテルのコインランドリーで洗濯を済ませると疲れがドッと出てきた。雨もますます強くなっており、外に出るのも億劫だ。昼に買っておいたおにぎりの残りを食べて夕食とする。

 既に日は落ち、漆黒で塗られた窓の外から風の唸り声が聞こえてくる。それはまるで悲鳴のようだ。断末魔である。歩き始めてから今日で30日。私の四国遍路もいよいよ後半に入ろうとしている。始めた当初はまさか一ヶ月後には既に梅雨入りしており、ホテルで台風の咆哮を聞いているなど夢にも思っていなかった。果たしてこれからどうなってしまうのだろうか。それは私には分からない。ただ歩くのみである。